土の器に命の宝を納める | コリントの信徒への手紙二 4章

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コリントの信徒への手紙二 4章

ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙二 4章7節

土の器に命の宝を納める

キリストの命の力は、人の死を命に変える「並外れて偉大な力」です(7節)。そして、その力が人間から出たものではなく、神の賜物であることがあきらかにされるためにこそ、それは土の器に納められています。器と中身とは混じりようがありません。どこまでも区別されます。金銀は金銀、土は土です。

そして、土は土に徹することによって金銀の輝きを際立たせます。人がある種、神がかることで福音が証しされるというのではありません。そうではなく、人が人に徹して生きることで、つまり死を帯びた弱くもろいすがたのままで、しかしその弱さが神の力によって支えられ、もちこたえ、自身の死によっていっそう神の命が浮き彫りにされるというしかたで、私たちは神の命の輝きを、身をもって映し出すのです。

あらゆる人間は死に至る道筋をたどります。しかし、私たちの死はキリストにあって命に変えられています。キリストが私たちの罪のために死なれ、私たちを生かすためによみがえられた以上、死のとげはすでに私たちから取り除かれているのです。死は勝利にのまれているのです(1コリ15章54節)。土の器は土の器であるままで、神の朽ちることのない命に生かされるのです。

【祈り】

主よ、私たちを土の器の光栄に生かしてくださるあなたの恵みに感謝します。

木下 裕也(岐阜加納教会)