キリストのために苦しむことを誇る | コリントの信徒への手紙二 11章

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コリントの信徒への手紙二 11章

誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙二 11章30節

キリストのために苦しむことを誇る

コリント教会の信徒たちは自分のことを誇り、高ぶる偽りの教師に従っていました。不思議なことに、偽りの教師たちによって自分たちが奴隷にされても、食い物にされても、取り上げられても、横柄な態度に出られても、顔を殴りつけられても、コリントの教会の信徒は我慢して彼らを歓迎し、受け入れたということです(20節)。人びとは人間的な華やかさや何かありそうなものに漠然と頼る傾向があるからです。

パウロも人間的な事柄を誇りとせず、自分がユダヤ人であり、アブラハムの子孫であり、しかし、それ以上にキリストの働き人であることを誇りとしました。彼が誇るのは、異邦人を救うために多くの苦労をしたことです(22~27節)。海で死にかけた危険に直面したことや、ユダヤ人から迫害されたことを誇ります。教会が弱かったとき、彼らの魂のために心配し、心が苦しめられることを誇ります(28節)。教会が罪に惑わされると、パウロの心は苦しみます。それでもパウロはどうしても誇らなければならないなら、「わたしの弱さにかかわることを誇る」と語りました。

なぜ弱さを誇るのでしょうか。キリストの強い力は弱さの中でこそ十分に発揮されるからです。そこでこそキリストの御力を仰げるからです。

【祈り】

自分自身のことを誇らずイエス・キリストの福音を誇る私たちになるように導いてください。

崔 宰鉉(高松東教会)