2024年5月19日(日)何のために生きるのか

 いかがお過ごしですか。船橋高根教会の牧師の小峯明です。
 わたしたちは毎日、様々な道具を用いて生活をしています。道具はそれぞれの目的のために造られています。その目的のために用いなければ、役に立ちません。野球のバットでゴルフはできませんし、ゴルフボールでバレーボールも出来ません。

 実は、わたしたち人間も神様に造られた存在だと、聖書は教えています。旧約聖書の創世記に、神様が世界を造られた記事が記されています。「光あれ」(創世記1:3)と言われて、世界は造られました。一番最後に造られたのが、人間です。神のかたちに似せて、人間は造られました。

 それでは、神様は何のために人間を造ったのでしょうか。詩編102編19節には、「主を賛美するために民は創造された。」と記されています。賛美するということは、単に賛美歌を歌う、ということにとどまりません。神様を礼拝し、そして崇めることを意味しています。また、旧約聖書のコヘレトの言葉3章14節に、「神は人間が神を畏れ敬うように定められた。」と記されています。神を畏れ敬うことも、礼拝することです。

 わたしたち人間は、神を賛美し、畏れ敬い、礼拝するために造られた存在です。それが、わたしたちの人生の中心にあることでした。しかし、その後人間は、悪魔の誘惑に負けて堕落し、罪を犯したために、この本来の目的を見失うことになりました。そこで、生きるために生きる者となり、礼拝するために造られたのに、別の目的のために生きるものになりました。目的に合わない用い方をする道具となりました。ですから、生きていてもうまく機能しなくなりました。

 神様は、そのようなわたしたちを、本来の生き方へと連れ戻してくださいます。そのために、イエス様が遣わされ、わたしたちの罪を赦し、神様との関係を回復してくださいます。神様を賛美する時に、わたしたちの人生は回復されます。


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