月刊誌リジョイス 聖書日課 2024年5月5日(日)

ヨハネ15章9-17節 主イエスの友とされて愛し合う

  

「わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。」(ヨハネ15:15)

 主イエスは私たちに「互いに愛し合いなさい」と命じておられます(12、17節)。

 主イエスはこの命令を一方的に言うだけでは済ませませんでした。この命令に先立って、主イエスというぶどうの木につながることで私たちは実を結ぶことができる、と示されました(4、5節)。そして、実際に命令と共に、愛の実を結べるよう私たちに養分をも送ってくださいました。主イエスは父なる神から聞いたことを私たちにすべて知らせ、私たちを「僕」とは呼ばず「友」と呼んでくださったのです(15節)。

 聖書に登場する「僕」は「奴隷」とも訳され、主人の命令に従うことが義務付けられていました。しかし、主イエスは人間とは何者か、なぜ愛を行えず悪を行ってしまうかなど、人を愛するために必要なすべてを父なる神から聞いて知らせてくださいました。そして知らせるだけにとどまらず、実際に愛の行動をお見せになりました。「友のために自分の命を捨てる」という最上の愛(13節)を十字架で表してくださいました。

 主イエスが私たちを選ばれたのは、「あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残る」ようになるためです。そのために必要なものは主が与えてくださいます。

【祈り】 父よ、互いに愛し合う生き方ができるよう、必要な知恵と力とを、豊かにわたしに注いでください。

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