藤井 真の聖書日課 29本

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藤井 真

藤井 真(フジイ マコト)

所属:千里山教会

藤井 真の聖書日課(日付順)

来なさい。そうすれば分かる

ヨハネによる福音書 1章

イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。…イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。 ヨハネによる福音書 1章38節~39節

最初のしるし

ヨハネによる福音書 2章

イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。 ヨハネによる福音書 2章11節

あなたも新しくなれる

ヨハネによる福音書 3章

「はっきり言っておく。人は新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」 ヨハネによる福音書 3章3節

もう渇かなくてよい

ヨハネによる福音書 4章

「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」 ヨハネによる福音書 4章14節

良くなりたいか

ヨハネによる福音書 5章

さて、そこに38年も病気で苦しんでいる人がいた。イエスは、その人が横たわっているのを見、またもう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。 ヨハネによる福音書 5章5節~6節

わたしが命のパンである

ヨハネによる福音書 6章

イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。」 ヨハネによる福音書 6章35節、37節

キリストの時を信じる

ヨハネによる福音書 7章

そこで、イエスは言われた。「わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備えられている。世はあなたがたを憎むことができないが、わたしを憎んでいる。わたしが、世の行っている業は悪いと証ししているからだ。」 ヨハネによる福音書 7章6節~7節

赦されて生きる

ヨハネによる福音書 8章

「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」 ヨハネによる福音書 8章11節

神の業が現れるため

ヨハネによる福音書 9章

「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」 ヨハネによる福音書 9章3節

主イエスは良い羊飼い

ヨハネによる福音書 10章

「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。」 ヨハネによる福音書 10章10節~11節、14節

死んでも生きる

ヨハネによる福音書 11章

「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」 ヨハネによる福音書 11章25節~26節

一粒の麦の恵み

ヨハネによる福音書 12章

「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」 ヨハネによる福音書 12章24節~25節

神に再び選ばれて

イザヤ書 13-14章

まことに、主はヤコブを憐れみ
再びイスラエルを選び
彼らの土地に置いてくださる。 イザヤ書 14章1節

泣き叫ぶ声の中で

イザヤ書 15章

叫び声は、モアブの全域に響き渡り
泣く声は、エグライムまで
またベエル・エリムにまで達する。 イザヤ書 15章8節

虐げられることなく

イザヤ書 16章

まことに、地上から虐げる者はうせ
破壊する者は滅び、踏みにじる者は絶える。
そのとき、ダビデの幕屋に
王座が慈しみをもって立てられ
その上に治める者が、まことをもって座す。
彼は公平を求め、正義を速やかにもたらす。 イザヤ書 16章4節~5節

造り主に目を注ぐ

イザヤ書 17-18章

その日には、人は造り主を仰ぎ、その目をイスラエルの聖なる方に注ぐ。もはや、自分の手が作り、自分の指が作った祭壇を仰ぐことなく、アシェラの柱や香炉台を見ようとはしない。 イザヤ書 17章7節~8節

撃たれて、いやされて

イザヤ書 19章

主は、必ずエジプトを撃たれる。しかしまた、いやされる。彼らは主に立ち帰り、主は彼らの願いを聞き、彼らをいやされる。 イザヤ書 19章22節

解放の朝は来る

イザヤ書 20-21章

見張りの者は言った。
「夜明けは近づいている、しかしまだ夜なのだ。
どうしても尋ねたいならば、尋ねよ
もう一度来るがよい。」 イザヤ書 21章12節

喜びに浮かれることなく

イザヤ書 22-23章

騒音に満たされ、どよめく都
喜びに浮かれた町よ。
…お前たちは、都を造られた方に目を向けず
遠い昔に都を形づくられた方を
見ようとしなかった。 イザヤ書 22章2節~11節

涙をぬぐってくださる神

イザヤ書 24-25章

主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい
御自分の民の恥を
地上からぬぐい去ってくださる。
これは主が語られたことである。 イザヤ書 25章8節

堅固な信仰に生きる

イザヤ書 26-27章

我らには、堅固な都がある。
救いのために、城壁と堡塁が築かれた。
城門を開け
神に従い、信仰を守る民が入れるように。
堅固な思いを、あなたは平和に守られる
あなたに信頼するゆえに、平和に。
どこまでも主に信頼せよ、主こそはとこしえの岩。 イザヤ書 26章1節~4節

慌てることなく

イザヤ書 28章

それゆえ、主なる神はこう言われる。
「わたしは一つの石をシオンに据える。
これは試みを経た石
堅く据えられた礎の、貴い隅の石だ。
信ずる者は慌てることはない。」 イザヤ書 28章16節

神の驚くべき業

イザヤ書 29章

「この民は、口でわたしに近づき
唇でわたしを敬うが
心はわたしから遠く離れている。

それゆえ、見よ、わたしは再び
驚くべき業を重ねて、この民を驚かす。
賢者の知恵は滅び
聡明な者の分別は隠される。」 イザヤ書 29章13節~14節

静かにしているならば

イザヤ書 30章

まことに、イスラエルの聖なる方
わが主なる神は、こう言われた。
「お前たちは、立ち帰って
静かにしているならば救われる。
安らかに信頼していることにこそ力がある」と。 イザヤ書 30章15節

何を支えにして生きるのか

イザヤ書 31-32章

災いだ、助けを求めてエジプトに下り
馬を支えとする者は。
彼らは戦車の数が多く
騎兵の数がおびただしいことを頼りとし
イスラエルの聖なる方を仰がず
主を尋ね求めようとしない。 イザヤ書 31章1節

立ち上がってくださる神

イザヤ書 33章

今や、わたしは身を起こすと
主は言われる。
今や、わたしは立ち上がり
今や、自らを高くする。 イザヤ書 33章10節

よろめく膝を強くせよ

イザヤ書 34-35章

弱った手に力を込め
よろめく膝を強くせよ。
心おののく人々に言え。
「雄々しくあれ、恐れるな。
見よ、あなたたちの神を。
敵を打ち、悪に報いる神が来られる。
神は来て、あなたたちを救われる。」 イザヤ書 35章3節~4節

何に頼って生きるのか

イザヤ書 36-37章

「ヒゼキヤに伝えよ。大王、アッシリアの王はこう言われる。なぜこんな頼りないものに頼っているのか。
ただ舌先だけの言葉が戦略であり、戦力であるのかとわたしは言う。今お前は誰を頼みにしてわたしに刃向かうのか。」 イザヤ書 36章4節~5節

病を通して知ったこと

イザヤ書 38-39章

見よ、わたしの受けた苦痛は
平和のためにほかならない。
あなたはわたしの魂に思いを寄せ
滅びの穴に陥らないようにしてくださった。
あなたはわたしの罪をすべて
あなたの後ろに投げ捨ててくださった。 イザヤ書 38章17節