リジョイス聖書日課 2017年7月

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2017年7月の聖書日課

マルコ 16章

「信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。」
マルコによる福音書 16章16節

救いと滅び

『ハイデルベルク』問71の答の括弧書き、「信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける」は、聖句そのもので、復活の主キリストの言葉です。洗礼は単に一つの儀式として、それを受ければ救…

創世記 9章

神はノアと彼の息子たちを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、地に満ちよ。
あなたたちは産めよ、増えよ
地に群がり、地に増えよ。」 創世記 9章1節、7節

産めよ、増えよ、地に満ちよ

聖書に「契約」という言葉が出て来るのは、ノアの箱舟物語(6章)が最初です。そのエンディングである9章では何度も用いられます。神はノアに、念を押すように祝福を約束されています。 神は世の初めから、「産めよ…

1ヨハネ 1章

しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。
ヨハネの手紙一 1章7節

御子イエスの血が罪を清める

『ハイデルベルク』が洗礼について教えるところでこのような問いがあるのには、特別な時代背景があります。当時のローマ・カトリック教会は、司祭によって執行される洗礼の水そのものが自動的に洗礼を授けられる人…

1コリント 6章

正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。…あなたがたの中にはそのような者もいました。しかし、主イエス・キリストの名とわたしたちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされています。
コリントの信徒への手紙一 6章9節~11節

聖霊が新たに造りかえてくださる

主イエスは、ご自身を信じる人皆に聖霊を与えると約束されました(ヨハ14章15~17節、使2章38、39節など)。聖霊は、イエス・キリストが十字架で血を流されたことによる罪の清めを、信じる人びとにあてはめてくださ…

創世記 17章

わたしは、あなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする。そして、あなたとあなたの子孫の神となる。
創世記 17章:7節

人間と契約を立てられる神

信者の子に洗礼を授ける幼児洗礼は、聖書の契約理解と深い関係があります。神が人との間に結ばれる(正確には、「立てる」)旧い契約と新しい契約との関係、さらに、イエス・キリストの福音をどう理解するのか、こ…

イザヤ 44章

そして今、わたしの僕ヤコブよ
わたしの選んだイスラエルよ、聞け。

あなたの子孫にわたしの霊を注ぎ
あなたの末にわたしの祝福を与える。 イザヤ書 44章1節~3節

神は契約に忠実

神は、アブラハムとの間に立てられた契約に常に忠実です。神は、その子孫の神として子孫を祝福し、導いておられます。これこそ、旧約聖書全体が告げていることです。 その一方、アブラハムの子孫であるイスラエルは…

ガラテヤ 3章

あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。 ガラテヤの信徒への手紙 3章29節

神の契約とイエス・キリストの福音

神が御子イエス・キリストにおいて信じる人との間に立てられる(新しい)契約の内容は、旧い契約と異なるものであったのでしょうか。 キリストを信じた人々について、パウロは「あなたがたは、もしキリストのものだ…

使徒 16章

二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」…看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた。 使徒言行録 16章31節~33節

神は家族をも恵みの中に

クリスチャンの中でも信仰とは個人的なもの、その恵みも信じるその人に限られたものと考えがちです。しかし、神は旧約の時代においてはもちろん、新約の時代においてもイエス・キリストを信じるその人だけではなく…

創世記 22章

「あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。…地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」 創世記 22章17節~18節

同じ御言葉によって養われる

この「あなたを祝福し、あなたを増やす。諸国民の父とする」という内容のことは、神が既にアブラハムに何度か約束しておられたことです(17章他)。アブラハムはこの神の言葉に聞き従ったのです。それゆえに彼は全…

マタイ 26章

「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」
マタイによる福音書 26章26節~28節

わたしのための主の十字架

最後の晩餐において、イエス・キリストは、パンを裂き、それを弟子たちに与え、更にブドウ酒の杯を取って、弟子たちに与えられました。主イエスの制定によって、私たちは今日も聖餐式を守っています。 パンとブドウ…

マタイ 14章

「取りなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」 マタイによる福音書 14章22節~24節

確実な恵みにあずかる

イエス・キリストは、十字架につけられる前の夜に聖餐式を制定されました。聖礼典は「目に見える聖なるしるし」であって、「神は、その執行を通して、福音の約束をよりよくわたしたちに理解させ、封印」なさいます…

ヨハネ 6章

「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
ヨハネによる福音書 6:51

信仰の心をもって聖餐にあずかる

イエス・キリストは「天から降って来た生きたパン」であり、それを食べた人は「永遠に生きる」ことができます。イエス・キリストは真の命を与える方です。その命を保証するために、主によって定められたのが聖餐式…

ヨハネ 6章

わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。 ヨハネによる福音書 6章55節~56節

いよいよ一つにされていく

私たちは毎日食事を摂ります。食べた物は、自分の体の中に取り入れられていきます。食べ物が自分自身のものとなっていくのです。イエス・キリストは、ご自身の肉と血をまことの食べ物・飲み物と言われました。それ…

コロサイ 3章

さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。
コロサイの信徒への手紙 3章1節

上にあるものを求めなさい

死者の中から復活されたイエス・キリストは、天に上げられました(使1章9節)。イエス・キリストは今、父なる神の右の座に着いておられます。では、主イエスが「天におられ、わたしたちは地にいるにもかかわらず」…

コロサイ 11章

主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。 コロサイの信徒への手紙 11章23節~24節

主イエスが定められた聖餐式

聖礼典とは、イエス・キリストの十字架の犠牲のゆえに、神が恵みによって、罪の赦しと永遠の命を与えてくださるという「福音の約束」を、よりよく「理解させ、封印」するものです(『ハイデルベルク』問66の答)。…

出エジプト 20章

「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。」
出エジプト記 20章2節

幾千代にも及ぶ慈しみ

聖書が教える「契約」は、神が結んでくださるからこそ成立します。ここに聖書の「契約」における、神の恩恵性と主権性を見て取れます。永遠なる方が一度口にされた言葉は必ず成ります。ですから、契約は成立します…

創世記 17章

「わたしとの間で守るべき契約はこれである。すなわち、あなたたちの男子はすべて、割礼を受ける。包皮の部分を切り取りなさい。これが、わたしとあなたたちとの間の契約のしるしとなる。」
創世記 17章10節~11節

礼典の性格としての契約

『ハイデルベルク』問78の答に、聖なるパンは「キリストの体そのものになるわけではなく、ただ礼典の性格と方法に従ってキリストの体と呼ばれ」とあります。 割礼は、生後8日目の男子の生殖器官に付けられる切り傷…

出エジプト 12章

「あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。」 出エジプト記 12章13節

礼典の方法としての過越

きょうは、昨日の続きです。礼典の方法に思いを向けます。 主は、モーセを通して、イスラエル全会衆の清めと贖いのために過越祭をお定めになりました。毎年正月祭日の夕暮れ、家毎に傷のない小羊を屠り、小羊の血を…

マタイ 26章

一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」 マタイによる福音書 26章26節

裂かれたパンは主の体の目印

キリストが弟子たちに準備させた過越の食事には、律法に従って酵母を入れないパンがありました。当時の過越祭で、実際に小羊の血が家の入口に塗られていたかどうかは、定かではありません。しかし、血が塗られてい…

ヨハネ 6章

「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
ヨハネによる福音書 6章51節

天からの生きたパンは命の養い

ヨハネが伝える主イエスの福音は、給食の奇跡と、贖いの死と、聖餐の教えとが混ざり合っています。 主イエスが与える食べ物とは「永遠の命に至る食べ物」、すなわち主イエスの御父が与える「天からのまことのパン」…

1コリント 10章

わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。
コリントの信徒への手紙一 10章16節~17節

キリストの血と体による交わり

パウロは、コリント教会で聖餐を執行しているかのように、「賛美の杯」を語ります。ユダヤの習慣では、食事の最後に飲むブドウ酒を賛美の杯、あるいは「祝福の杯」と呼びました。 キリストが最後の晩餐のあるじとし…

ローマ 6章

わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。死んだ者は、罪から解放されています。
ローマの信徒への手紙 6章6節~7節

キリストに接ぎ木される神秘と生命

主イエスは最後の晩餐で、御父を「農夫」、ご自身を「まことのぶどうの木」、弟子たちを「その枝」に譬え、枝が豊かな実を結ぶよう「わたしにつながっていなさい」とお命じになりました(ヨハ15章4節)。キリストと…

ルカ 22章

食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」
ルカによる福音書 22章20節

新しい契約

古い契約(旧約)の時代と違い、新しい契約(新約)に生きる私たちには、救い主がはっきりと示されています。救い主が、今や礼拝の中で、特に説教と聖礼典を通して生き生きと示されることにより、契約の民としての…

ヨハネ 19章

イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。 ヨハネによる福音書 19章30節

成し遂げられた

主イエスは「成し遂げられた」と言って息を引き取られました。この言葉を語られる直前、主イエスは十字架の上で、「渇く」と言われました。それは、わたしは干上がったという言葉です。なぜか?それは、注ぎ切った…

使徒 7章

ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。 使徒言行録 7章55節~56節

天におられる弁護者

聖餐式は天におられる主イエスとの結び付きを確認する礼典です。ステファノは殉教の場面で天におられる主イエスが「見える」と言いました。主イエスが神の右に「立つ」という言葉は聖書の中でここだけにしか使われ…

マタイ 6章

「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」
「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。」 マタイによる福音書 6章21節~23節

神を宝とする

なぜ私たちは、世の富に惹かれるのでしょうか?それは、世の富には力があるからです。自分で富をコントロールすることができると考えますが、「あなたの富のあるところに、あなたの心もある」とあるように、逆に富…

フィリピ 3章

しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。 フィリピの信徒への手紙 3章20節

天に本国を置く私たち

言葉の通じない外国に行くことは心細いことで、わたしはインド旅行で不安を経験しましたが、その時の頼みの綱は、在印日本大使館に勤務していた知人の電話番号でした。普段は特別意識しないことなのですが、何が最…

1コリント 11章

わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。…」と言われました。 コリントの信徒への手紙一 11章23節~24節

招かれざる者はいない

『ハイデルベルク』問81は「どのような人が、主の食卓に来るべきですか」と問うています。実際に主イエスの聖餐の食卓に与ったのは、どのような人びとだったのでしょうか。それは「引き渡される夜」に起こりました…

1コリント 11章

従って、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。
コリントの信徒への手紙一 11章27節

ふさわしさ

カトリック教会はパンをキリストの体そのものと捉えるため、パンに宿るキリストの正しさと人間の罪との間に落差が生じます。それが聖餐の場面での裁きへの恐ろしさとなります。もちろん、聖餐に与る際の人間の状態…

使徒 2章

「この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」 使徒言行録 2章39節

神の命を継いでいく営み

この箇所は、幼児洗礼式で用いられる御言葉です。その親の信仰ゆえに、その子はまだ信仰を言い表すまでに至らなくても契約の子です。幼児洗礼は、神がアブラハムに約束された(創17章)契約信仰の実現の形です。同…

マタイ 16章

「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」 マタイによる福音書 16章19節

天国を開く鍵

『ハイデルベルク』問83はその答で、鍵の務めとは「福音の説教とキリスト教的戒規」であり、これらによって、「天国は信仰者たちには開かれ、不信仰な者たちには閉ざされる」と教えています。「つなぐ」とは、縛る…