リジョイス聖書日課 2017年8月

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2017年8月の聖書日課

ヨハネ 3章

「神がお遣わしになった方は、神の言葉を話される。神が“霊”を限りなくお与えになるからである。…御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。」 ヨハネによる福音書 3章34節~36節

天国の扉を開く福音の説教

天国の扉を開ける鍵の務めの一つは福音の説教です。なぜ福音の説教が天国の扉を開ける鍵となるのでしょう。 福音の説教においてキリストにある罪の赦しが宣言され、神の存在とご性質、御業とご意思が確かに示される…

ヨハネ 20章

彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」 ヨハネによる福音書 20章22節~23節

ただ聖霊によって

「あなたがたが赦せば、その罪は赦され…赦さなければ、赦されないまま残る」。これは、私たちの力で罪を勝手に赦すとか、赦さないということではありません。赦されるとするならば神によってのみ赦され、赦されない…

マタイ 18章

「あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。…二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」 マタイによる福音書 18章18節~20節

神の聖さと憐れみのゆえに

教会にとって一番大切なこと、それは教会の純潔と平和を増進させることです。教会は、主キリストのご性質と御業、ご意思を反映する主の御体だからです。 しかし、教会は罪赦された罪人の集まりでもあります。私たち…

1コリント 5章

外部の人々は神がお裁きになります。「あなたがたの中から悪い者を除き去りなさい。」 コリントの信徒への手紙一 5章13節

最も厳しい戒規

「あなたがたの中から悪い者を除き去りなさい」とあるように、教会は、除名という最も重い戒規を執行しなければならない場合があります。「悪い者」とは、罪の赦しの道を知りながら、大きな罪を悔い改めようとしな…

2コリント 2章

むしろ、あなたがたは、その人が悲しみに打ちのめされてしまわないように、赦して、力づけるべきです。そこで、ぜひともその人を愛するようにしてください。…そうするのは、サタンにつけ込まれないためです。サタンのやり口は心得ているからです。 コリントの信徒への手紙二 2章7節~11節

一つの群れとなるために

戒規の後、本人の悔い改めが示されたとき、神の家族はどうあるべきでしょうか。 罪の裁きのために用いられた教会会議は、悔い改めた人に対しては、「キリストの前で」(2章10節)、真に赦し、受け入れます。 「キリ…

マタイ 5章

平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。 マタイによる福音書 5章9節

平和を実現する人々

私たちが主イエス・キリストを模範として歩むとき、それは「平和を実現する人々」としての歩みとなるでしょう。主ご自身がその生涯を通して教え、そして贖いの死を通して私たちを神と和解させてくださり、人間同士…

マタイ 5章

「あなたがたは地の塩…世の光である。…あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」 マタイによる福音書 5章13節~16節

全生活全生涯にわたる感謝

ハイデルベルク信仰問答書の序文のテーマは「ただ一つの慰め」、第一部のは「神の律法によって人間の悲惨を知る」、第二部のは「人間の救いー主イエスによる神の恵み」(使徒信条の解説等)と言えるでしょう。 そし…

2ペトロ 1章

だから兄弟たち、召されていること、選ばれていることを確かなものとするように、いっそう努めなさい。これらのことを実践すれば、決して罪に陥りません。こうして、わたしたちの主、救い主イエス・キリストの永遠の御国に確かに入ることができるようになります。 ペトロの手紙二 1章10節~11節

悪い木が良い実を結ぶこともできない

「悪い木が良い実を結ぶこともできない」(マタ7章18節)。救われる前、私たちの古き自我は、神また隣人を愛することができませんでした。しかし、聖霊によって新しく生まれた自分は、神を愛し、また神を礼拝するこ…

1ペトロ 3章

同じように、妻たちよ、自分の夫に従いなさい。夫が御言葉を信じない人であっても、妻の無言の行いによって信仰に導かれるようになるためです。神を畏れるあなたがたの純真な生活を見るからです。 ペトロの手紙一 3章1節~2節

証し人として生きる

私たちの隣人をキリストに導くために善い行いは不可欠です。私たちは暗闇の中から神の驚くべき光の中へと招き入れられたので(2章9節)、神のすばらしさについて「わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないで…

1ヨハネ 3章

わたしたちは、自分が死から命へと移ったことを知っています。兄弟を愛しているからです。
愛する者たち、わたしたちは心に責められることがなければ、神の御前で確信を持つことができ(ます)。 ヨハネの手紙一 3章14節、21節

救いの確信が与えられるように

善い行いをして救われるのではありません。信仰プラス・ゼロで、信仰によってのみ救われるのです。その溢れるほどの感謝の思いから善い行いが自然に生じます。そういう意味で、私たちは自分の信仰をその実である善…

ローマ 6章

あなたがたの五体を不義のための道具として罪に任せてはなりません。かえって、自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、また、五体を義のための道具として神に献げなさい。 ローマの信徒への手紙 6章13節

福音の骨格

信仰によってのみ救われるならば、何をしても良いのか、という疑問が生じます。聖書の答えははっきりしています。そのようなことはありえない。 信仰によってキリストと共に結ばれた者は、キリストと共に葬られ、罪…

1コリント 6章

知らないのですか。…みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、男色をする者、泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことができません。 コリントの信徒への手紙一 6章9節~10節

私たちもそのような者でした

「この世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただ」きなさい(ロマ12章2節)。「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」(同12章1節)。 私たちはこの世に染まりや…

コロサイ 3章

あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。…これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。 コロサイの信徒への手紙 3章12節~14節

捕虜収容所における礼拝と洗礼

牧師であったわたしの祖父(片山弘二、享年94)から戦争体験を聞いてきました。祖父はフィリピンで敗戦を迎え、投降し、捕虜収容所に収容されました。クリスチャンであったがゆえに山下奉文大将などの絞首刑に立ち…

エフェソ 4章

だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。 エフェソの信徒への手紙 4章22節~24節

上にあるものを求めなさい

キリスト・イエスと出会い、教えられた真理が主イエスご自身の内にあることを学んだのなら(4章21節)、自分の身に起こるはずのことが二つあると聖書は言います。 それは、「古い人を脱ぎ捨て」ることと「新しい人…

詩編 51編

あなたに背いたことをわたしは知っています。
わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。
あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し
御目に悪事と見られることをしました。
あなたの言われることは正しく
あなたの裁きに誤りはありません。 詩編 51編5節~6節

罪が何かを知って、次にすること

詩編51編には、詩人が、神の御前に罪を犯した後、それを指摘され罪を自覚し、「わたしは主に罪を犯した」と告白した上で、なお、神の憐れみにすがって祈っている姿が描かれています(サム下12章13節)。詩人は、自…

詩編 51編

喜び祝う声を聞かせてください
あなたによって砕かれたこの骨が喜び躍るように。 詩編 51編10節

罪赦される救いの喜び

詩編51編の詩人は、罪の汚れを深く自覚し、神の御前に罪の罰を受けた自分自身を「砕かれた骨」と言い表します。しかし、悔い改めた自分が、救いの喜びの声をあげたいと願います。 「喜び祝う」という言葉は、ヘブラ…

ヘブライ 11章

信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。 ヘブライ人への手紙 11章6節

まことの信仰

神の像(かたち)に造られた人間の本来的使命は、神に喜ばれることです。信仰者に対するヘブライ的な称賛の言葉は、「神と共に歩む人」(例えば創5章24節)です。神に喜ばれる人の言い換えでしょう。 神に喜ばれる…

サムエル上 15章

サムエルは言った。
「主が喜ばれるのは
焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。
むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。
見よ、聞き従うことはいけにえにまさり
耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる。」 サムエル記上 15章22節

神の律法に従い

預言者サムエルは、時の王の信仰の姿勢を峻厳な言葉で正しました。イスラエルの神礼拝では、神の聖さを尊び罪の清めを求め、神と交わることを喜び感謝して、動物犠牲や穀物の供え物が献げられました。しかし、王は…

1コリント 10章

だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。 コリントの信徒への手紙一 10章31節

神の栄光のために

神の御心に適う善い行いは、神の恵みに応答したいと願うことから始まります。神が喜んでくださることを願ってすることは、「神の栄光を現す」ことになります。「神の栄光を現す」ことは、飲食だけでなく、キリスト…

エフェソ 2章

実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、…十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。 エフェソの信徒への手紙 2章14節~16節

和解の福音

ユダヤ人と異邦人との間に「敵意という隔ての壁」がありました。それは異邦人が神の戒めである律法を知らず、割礼の儀式などを実行しなかったからです。それゆえに、ユダヤ人は異邦人を軽蔑していました。 しかしな…

申命記 5章

「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。」 申命記 5章6節

神を喜ぶ

『ハイデルベルク』では、第一戒に序文も含められています。この序文に、主なる神が、十戒をイスラエルの民にお命じになった理由が示されています。 私たちは、ともすると福音(救い)と律法とを対立するものと受け…

ルカ 10章

彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」 ルカによる福音書 10章27節

新しい掟

この十戒を使徒ヨハネは、一方で「古い掟」と言い、他方で「新しい掟」と呼んでいます(1ヨハ2章7節)。同じ内容なのに、どうして二通りの仕方で語っているのでしょうか。 確かに十戒は、イスラエルの民がエジプト…

ルカ 10章

主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」 ルカによる福音書 10章41節~42節

必要なことはただ一つ

主イエスと弟子たちは、ベタニア村のマルタとマリアの家を訪ねられました。 そのときマリアは主の足元に座って、主が語られる話に耳を傾けました。他方マルタは、突然の訪問で、足の汚れを洗う水を汲んだり、食事の…

ヨハネ 17章

永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。 ヨハネによる福音書 17章3節

悔い改めの実

「十戒」は、主に従っていく者の確かな道しるべです。 神の御心を知り、それを大切にして生きることは言うまでもありません。けれどもそこに大きな落とし穴があります。それは、私たちは救われたといえども、なお罪…

マタイ 10章

「また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」 マタイによる福音書 10章38節~39節

自分の十字架を担って

わたしは、かつて三浦綾子原作『塩狩峠』の映画を観、大きな衝撃を受けました。人が友のために命を捨てる、これよりも大きな愛はない、ということが主題でした。長野政雄というキリスト者が暴走する列車の下敷きと…

フィリピ 3章

何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。 フィリピの信徒への手紙 3章18節~19節

おのが腹を神とする

偶像礼拝というと、私たちは、ただちに太陽を拝むことや、お金やこの世のものを神のようにして仕えることを思ってしまいます。もちろんそれらも神以外のものを神のごとくみなす点で、確かに偶像崇拝であることには…

ルカ 2章

「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」 ルカによる福音書 2章14節

地には平和

平和の君であるイエスの誕生を告げ知らされたのは羊飼いたちでした。天使は言います。「わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる」と。社会から除外された存在であった羊飼いたちにとって、この知らせは、…

申命記 4章

あなたたちは自らよく注意しなさい。主がホレブで火の中から語られた日、あなたたちは何の形も見なかった。堕落して、自分のためにいかなる形の像も造ってはならない。 申命記 4章15節~16節

自らよく注意しなさい

十戒の第二戒について、『ハイデルベルク』は、「どのような方法であれ神を形作ったり、この方が御言葉において命じられた以外の仕方で礼拝してはならない」(問96の答)ということを教えています。 モーセが十戒を…

使徒 17章

わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。 使徒言行録 17章29節

私たちは神の子孫ゆえに

パウロは、アテネのアレオパゴスの真ん中に立って大胆に説教をしました(17章22~31節)。パウロはギリシア人に向かって伝道説教をしたのです。ギリシアの人たちの信仰心が厚いことを認めて、彼らを尊敬するという…

列王下 18章

(ヒゼキヤは)聖なる高台を取り除き、石柱を打ち壊し、アシェラ像を切り倒し、モーセの造った青銅の蛇を打ち砕いた。…
彼はイスラエルの神、主に依り頼んだ。その後ユダのすべての王の中で彼のような王はなく、また彼の前にもなかった。 列王記下 18章4節~5節

それでも主に依り頼む

南ユダ王国の中で、好意的に紹介されている王が、ヒゼキヤ王です。ヒゼキヤ王は、預言者イザヤの感化を受け、異教の粛清を行いました(イザ36~39章参照)。その粛清でヒゼキヤ王は、高台を取り除き、石柱を打ち壊…

ローマ 10章

信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。
実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。 ローマの信徒への手紙 10章14節、17節

主の言葉を聞くことにおいて始まる

カルヴァンは『キリスト教綱要』で次のように述べています。「わたしは、全く何ひとつの像も許されてはならないと考えるほど、迷信〔的な潔癖感〕にとらわれてはいない。むしろ、彫刻や絵画は神からの贈り物なので…