リジョイス聖書日課 2019年11月

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2019年11月の聖書日課

月刊誌 『リジョイス』聖書日課 音声データ 一括  12月分配信中

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耳で聴く月刊誌 『リジョイス』聖書日課の1ヶ月分の音声データ。ダウンロードしてCD-Rなどに保存できます。

月刊誌 『リジョイス』PDF版 12月号配信中

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月刊誌 『リジョイス』PDF版 申込随時受付中。主な内容: 恵みの文字、中世教会の祈り 聖書日課、いのちのパン、アウグスティヌスの古くて新しい物語、カルヴィニズムる人たち、わたしの街のこの教会、外国教会関係委員会通信、寄り添って生きる、など。

わたしの街のこの教会 Vol. 35 「広島教会」

わたしの街のこの教会 Vol. 35 「広島教会」

毎月、改革派教会を動画で紹介する企画「わたしの街のこの教会」。11月は広島市佐伯区にある「広島教会」です。

カルヴィニズムる人たち 11月

カルヴィニズムる人たち 11月

11月の「カルヴィニズムる人たち」は光が丘キリスト教会 教会員の毛利新さんです。「兎団」という劇団で主に脚本を担当されています。

1ペトロ 2章1-10節

しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。 ペトロの手紙一 2章9節

万人祭司の教会

宗教改革は、本質的に教会改革でした。ルターが最初期の書物、たとえば『キリスト者の自由』において強調しているのは信仰における神の御前での「身分の平等」です。 中世においては「聖なる教会」と「汚れた世俗」…

ローマ 12章1-2節

こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。 ローマの信徒への手紙 12章1節

わたしのすべてを主にささげる

昨日は、宗教改革における「万人祭司の原理」の再発見について確認しました。私たちはみな、神を見失ったこの世界にあって特別に選ばれ、神にお仕えする存在として聖別された「祭司」です。その祭司としての務めの…

ルカ 19章1-10節

イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」 ルカによる福音書 19章5節

ぜひあなたの家に

当時、徴税人は、ローマ帝国の手先とされて、ユダヤ人に嫌われていました。財産を集めることはできたものの、蔑ろにされる職業でした。 そのような徴税人の頭であるザアカイに、主イエスは「今日は、ぜひあなたの家…

2コリント 7章

今は喜んでいます。あなたがたがただ悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。あなたがたが悲しんだのは神の御心に適ったことなので、わたしたちからは何の害も受けずに済みました。神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。 コリントの信徒への手紙二 7章9節~10節

取り消されない救い

神の救いは、取り消されることがありません。この真実を知り、味わうことは、豊かな慰めです。この章では、教会の中で起こった悲しい罪による事件が背景になって記されています。一体どんな出来事があったのかは、…

2コリント 8章

あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。 コリントの信徒への手紙二 8章9節

貧しくなられた主

献金・奉仕・慈善といった愛の業は、ゆとりがあるのでするのではなく、神の救いへの感謝からするものです。パウロは、コリント教会にも貧しいエルサレム教会のための献金を勧めました。それは、救い主の貧しさにあ…

2コリント 9章

神は、あなたがたが、いつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。 コリントの信徒への手紙二 9章8節

恵みの分配

9章も8章同様、貧しいエルサレム教会のための献金を訴えています。とりわけ、献げる者と献げられる者との相互の連携の必要と祝福とが述べられます。 コリント教会の献金への熱心が他のマケドニアの諸教会の熱心をか…

2コリント 10章

わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。わたしたちは理屈を打ち破り、神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ… コリントの信徒への手紙二 10章4節~5節

御言葉によって見破る

異端が既成のキリスト教会を打ち倒すための策略とはこれだとのことです。それは、自分たちの信奉者を相手の教会に送り込み、何年もかかって信徒たちをすっかり信頼させ、そうしてよい時期に一気に引き抜くとのこと…

2コリント 11章

あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思いをわたしも抱いています。なぜなら、わたしはあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げたからです。 コリントの信徒への手紙二 11章2節

キリストの花嫁

わたしにも愛する大事な一人娘がいます。やがて愛する人と出会い、結ばれて嫁ぐ日が来るでしょう。 パウロにとってコリント教会は誇りであり宝でした。その教会が偽使徒たちによって異なる福音・異なる霊に誘われて…

2コリント 12章

すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。 コリントの信徒への手紙二 12章9節

キリストの力に満ちあふれる

ある障がい者の集いで、障がい者の役割とは何なのかが話題となりました。人の役に立たなければという価値観が蔓延する中、生き辛さを抱える方も多いでしょう。 聖書は、神の御前にいかなる人も同じ尊厳と権利とを持…

ルカ 20章27-40節

「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」 ルカによる福音書 20章38節

生きている者の神

人は死んでどうなるのか。このことについて多くの人びとが関心を持っていますが、誰も死んだことがなく、知ることができません。しかし、聖書は信仰者の死と復活についてはっきり語っています。 主イエスは、復活に…

2コリント 13章

キリストは、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられるのです。わたしたちもキリストに結ばれた者として弱い者ですが、しかし、あなたがたに対しては、神の力によってキリストと共に生きています。 コリントの信徒への手紙二 13章4節

信仰の吟味を

カルヴァンは、地上の信者の歩みを悔い改めの連続だと言い表しました。クリスチャンは、自分の力や知恵で救いを得ることも、持続させることもできません。ただイエス・キリストを信じることによってのみ救われるか…

エゼキエル 15章

「主なる神はこう言われる。わたしが薪として火に投げ込んだ、森の木の中のぶどうの木のように、わたしはエルサレムの住民を火に投げ入れる。…わたしはこの地を荒廃させる。彼らがわたしに不信を重ねたからである」と主なる神は言われる。 エゼキエル書 15章6節、8節

薪として火に投げ込まれる

聖書は、しばしば「ぶどうの木」を神の民を指し示すたとえとして用います。ヨハネ福音書15章は、主イエスがまことのぶどうの木であり、キリスト者はその枝であると語ります。 けれども、エゼキエル書15章で、主なる…

エゼキエル 16章

「だが、わたしは、お前の若い日にお前と結んだわたしの契約を思い起こし、お前に対して永遠の契約を立てる。…わたしがお前と契約を立てるとき、お前はわたしが主であることを知るようになる。」 エゼキエル書 16章60節、62節

だが、永遠の契約を立てる

エゼキエルは、「人の子よ、エルサレムにその忌まわしいことを知らせなさい」(2節)と命じられました。「忌まわしいこと」とは神の民の背きとその結果としての裁きです。 「わたしはお前に誓いを立てて、契約を結…

エゼキエル 17章

主なる神はこう言われる。わたしは高いレバノン杉の梢を切り取って植え、その柔らかい若枝を折って、高くそびえる山の上に移し植える。イスラエルの高い山にそれを移し植えると、それは枝を伸ばし実をつけ、うっそうとしたレバノン杉となり、あらゆる鳥がそのもとに宿り、翼のあるものはすべてその枝の陰に住むようになる。 エゼキエル書 17章22節~23節

イスラエル再興の約束

主なる神は、「大鷲が、レバノンに飛来する。その鷲はレバノン杉の梢を切り取り、その頂の若い枝を折って、商業の地に運び、商人の町に置いた」(3、4節)とエゼキエルに語りました。バビロン捕囚によってエルサレ…

エゼキエル 18章

悪人であっても、もし犯したすべての過ちから離れて、わたしの掟をことごとく守り、正義と恵みの業を行うなら、必ず生きる。死ぬことはない。彼の行ったすべての背きは思い起こされることなく、行った正義のゆえに生きる。わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は言われる。 エゼキエル書 18章21節~23節

あなたは責任転嫁をしていないか

バビロン捕囚の後、エルサレムに残った人びとは、「先祖が酢いぶどうを食べれば、子孫の歯が浮く」と口にしていました(2節)。バビロン捕囚は先祖の罪の結果であり、自分たちには責任がないということです。これは…

エゼキエル 19章

今や、その木は
荒れ野に、乾いた水なき地に
移し植えられた。
また、若枝の茂る太い枝から
火が出て、実を焼き尽くした。
それゆえ、この木には
支配者の杖となる強い枝はなくなった。
この歌は悲しみの歌。
悲しみの歌としてうたわれた。 エゼキエル書 19章13節~14節

悲しみの歌

エゼキエルは、南ユダの王ヨヤキン王と共にバビロンに連れ去られ、捕囚の地で預言を語りました。19章は、残されたエルサレムについて歌う、「哀歌」と言われる悲しみの歌です。神の裁きにより滅びゆくイスラエル(…

ルカ 21章5-19節

「しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。それはあなたがたにとって証しをする機会となる。」 ルカによる福音書 21章12節~13節

証しをする機会

30年ほど前、わたしは兵役のために軍隊に入り、3年間、部隊に配属されました。 宿舎に入ると、上官たちが興味津々でわたしを見つめました。わたしがクリスチャンであることを知ると、彼らの態度が急変し、最年長の…

マタイ 19章

イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」そして、子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。 マタイによる福音書 19章14節~15節

天の国に入る者とは

人びとが主イエスのそばに子どもたちを連れてきました。それを見た弟子たちは叱りました。弟子たちが叱った理由は、当時のユダヤ教の教えにより律法を守ることのできない子どもたちには神聖な所に近づくことは許さ…

マタイ 20章

イエスは立ち止まり、二人を呼んで、「何をしてほしいのか」と言われた。二人は、「主よ、目を開けていただきたいのです」と言った。イエスが深く憐れんで、その目に触れられると、盲人たちはすぐ見えるようになり、イエスに従った。 マタイによる福音書 20章32節~34節

目が見えるようになった二人の信仰

主イエス一行はエルサレムの近郊のエリコに入りました。大勢の群衆も従っていました。すると、道端に二人の目の不自由な人が座って、物乞いをしていました。 その二人は主イエスが通ると聞くと、声を張り上げて「主…

マタイ 21章

「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」 マタイによる福音書 21章2節~3節

主の召しに従う

いよいよ主イエスは弟子たちとエルサレムへ入られようとしています。その時、主イエスはろばの子を連れてくるように二人の弟子に命じます。 二人の弟子が村に行ってみると確かにろばの子がつないでありました。そこ…

マタイ 22章

イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」 マタイによる福音書 22章20節~21節

神のものは神に返しなさい

主イエスはエルサレムへ入られると、毎日神殿において民衆に教えられました。そこにファリサイ派とヘロデ派の人がやってきて主イエスに議論を吹っ掛けます。彼らはなんとかして主イエスの言葉尻をとらえ、捕まえよ…

マタイ 23章

「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。 マタイによる福音書 23章37節

父なる神の慈愛

主イエスはエルサレムに入城されました。そして律法主義で凝り固まっているユダヤ教指導者などエルサレムの状況を見て、嘆かれました。 ここでエルサレムと言っておられるのは歴史を通じたエルサレムに住む人々も含…

マタイ 24章

「はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」 マタイによる福音書 24章34節~35節

御言葉は永遠に不滅です

ここで、主イエスはいちじくの木のたとえから再臨のしるしの意味を悟るよう教えておられます。つまり、いちじくの木の枝がやわらかくなり、葉が伸びると夏が近づいていることがわかります。それと同じように、24章2…

ルカ 23章26-43節

十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」 ルカによる福音書 23章39節

自分を救わないイエス

主イエスは、死んだ者を生き返らせ、病人を癒し、悪霊を追い出し、嵐を静めるお方です。そのような力のあるお方が、今、十字架の苦しみを受けながら、多くの人びとから侮辱され、嘲られています。キリスト者にとっ…

箴言 13章

富んでいると見せて、無一物の者がいる。
貧乏と見せて、大きな財産を持つ者がある。
財産が自分の身代金になる者もある。
貧しい人は叱責を聞くことはない。 箴言 13章7節~8節

賢く生きる信仰者

いつの時代でも、信仰を持っている者たちは、世の不平等や、悪事で私腹を肥やしているような者たちに対する嘆きを持ってしまうのではないでしょうか。 遺産の分配に関して主イエスに調停を願い出た人物に対して主は…

箴言 14章

人間の前途がまっすぐなようでも
果ては死への道となることがある。
笑っていても心の痛むことがあり
喜びが悲しみに終ることもある。 箴言 14章12節~13節

死から命への転換

きょうの個所で「人間の前途がまっすぐなようでも、果ては死への道となることがある」と言われています。 罪の奴隷であったとき、それはキリストの僕ではありませんでした。自分のやること考えることは間違いないと…

箴言 15章

神に従う人の家には多くの蓄えがある。
神に逆らう者は収穫のときにも煩いがある。

心に喜びを抱けば顔は明るくなり
心に痛みがあれば霊は沈みこむ。 箴言 15章6節、13節

キリストの栄光に包まれて生きる

深く悲しく辛い思いが心を占めるとき、私たちの顔色は暗く、生気が感じられません。 本来、キリスト者はキリストと共に死んだのですから、怖いものは何もないはずです。ところが、この世に財産や地位、名誉などに未…

箴言 16章

知恵ある心は口の言葉を成功させ
その唇に説得力を加える。
親切な言葉は蜜の滴り。
魂に甘く、骨を癒す。 箴言 16章23節~24節

御霊に導かれた言葉

箴言16章は、人間が計画しても主なる神が答えるべきことを与えてくださる、だから主に委ねなさい、そうすれば計画は実行される、という方向で出発しています。特に舌、口、知恵、唇など、言葉に関する戒めが散りば…

箴言 17章

乾いたパンの一片しかなくとも平安があれば
いけにえの肉で家を満たして争うよりよい。 箴言 17章1節

愛は人を生かし、欲は罪をあふれさせる

欲望にはいろいろなものがあります。特に金銭欲という罪は簡単に争いを生み出します。いっそ金や物がないほうが、争いが起きなくてすむようです。財産がなければ、兄弟で争いをしなくて済みます。 箴言の知恵者は、…

箴言 18章

物乞いをする者は哀願し
金持ちは横柄に答える。
友の振りをする友もあり
兄弟よりも愛し、親密になる人もある。 箴言 18章23節~24節

分け隔てを嫌う神

私たちは他の人に対して分け隔てをしてしまいます。にもかかわらず、もし父なる神が人に対して分け隔てをなさったのなら、必ず文句を言うことでしょう。神はすべての人に、平等に天から雨を降らせ、日を照らして作…