リジョイス聖書日課 2020年9月

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2020年9月の聖書日課

月刊誌 『リジョイス』聖書日課 音声データ 一括  10月分配信中

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耳で聴く月刊誌 『リジョイス』聖書日課の1ヶ月分の音声データ。ダウンロードしてCD-Rなどに保存できます。

月刊誌 『リジョイス』PDF版 10月号配信中

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パソコンやタブレットで読める、月刊誌 『リジョイス』PDF版の配信を行っています。当ホームページで配信している聖書日課だけはなく、1冊全部を読むことができます。

カルヴィニズムる人たち 9月

カルヴィニズムる人たち 9月

2020年9月の「カルヴィニズムる人たち」は筑波みことば伝道所会員の李珍雅さんです。アートセラピストとして心のケアに尽力されています。

エレミヤ 45章

「あなたは自分に何か大きなことを期待しているのか。そのような期待を抱いてはならない。なぜなら、わたしは生けるものすべてに災いをくだそうとしているからだ、と主は言われる。ただ、あなたの命だけは、どこへ行っても守り、あなたに与える。」 エレミヤ書 45章5節

バルクへの慰めの言葉

バルクは、エレミヤの口述筆記者として、主の言葉を巻物に忠実に書き記しました。神の裁きの預言を拒んだユダの王ヨヤキムがその巻物を焼いてしまったときにも、バルクは主に命じられたとおりに、巻物に記されてい…

マタイ 5章3節

「心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。」 マタイによる福音書 5章3節

心の貧しい人々は、幸いである

「幸いなるかな!」と翻訳できる文章です。腰を下ろして語る(1節)ことが当時の教師の正式なスタイルだったため、「山上の説教」は主イエスの公式説教集だと言われます。その冒頭で「幸いなるかな」と繰り返される…

マタイ 5章4節

「悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。」 マタイによる福音書 5章4節

悲しむ人々は、幸いである

悲しみなどないほうがよい、喜んでいたいと、誰でも思うものでしょう。これも、いったいなぜなのかと思わせられる、不思議な言葉です。 一つには、悲しみを経験してこそ分かることがあるということでしょう。たとえ…

マタイ 5章5節

「柔和な人々は、幸いである、
その人たちは地を受け継ぐ。 マタイによる福音書 5章5節

柔和な人々は、幸いである

柔和な人々が幸いであるとは、「貧しい」「悲しむ」と違って、多少は受け止めやすいかもしれません。けれども、柔和であるためには耐え忍ぶことが求められます。競争社会の中で、人に押しのけられ、さまざまな不条…

マタイ 5章6節

「義に飢え渇く人々は、幸いである、
その人たちは満たされる。」 マタイによる福音書 5章6節

義に飢え渇く人々は、幸いである

「義」とは「正しい、正義」ということですが、ここでは「秩序」と言い換えて理解するとよいでしょう。それも、正しい秩序、神の秩序です。 秩序など面倒だと思うかもしれません。けれども、1キロの重さであれば誰…

マタイ 16章13-20節

シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。 マタイによる福音書 16章16節

キリストこそ救い主

イエス・キリストを何者だと言い表すのでしょうか。このことはまさに、私たちの生死を分ける重大な問題です。キリストのことをどれほど偉大な人物であると言い表したとしても、それだけではわたしの救いとはなりま…

マタイ 5章7節

「憐れみ深い人々は、幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。」 マタイによる福音書 5章7節

憐れみ深い人々は、幸いである

詩編が「主は憐れみ深く、恵みに富み、忍耐強く、慈しみは大きい」(103編8節)と語る通り、主なる神こそ憐れみ深いお方です。その憐れみは御子イエス・キリストにおいて示されました。主イエスが両手を大きく広げ…

マタイ 5章8節

「心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。」 マタイによる福音書 5章8節

心の清い人々は、幸いである

「清い」とは、よごれがなく、混じりけのないことです。「心の清い」とは、純粋さを妨げるような混じりものが心の中にないということです。 主イエスは、「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身…

マタイ 5章9節

「平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。」 マタイによる福音書 5章9節

平和を実現する人々は、幸いである

主イエスの時代、「神の子」と呼ばれる人物がいました。ローマ皇帝アウグストゥスです。ローマ帝国の礎を築いた「神君カエサル」の子ですから、まさに神の子です。当時、アウグストゥスによってローマに平和な時代…

マタイ 5章10節

「義のために迫害される人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。」 マタイによる福音書 5章10節

義のために迫害される人々は、幸いである

「迫害」という言葉で殉教を思い浮かべて、遠いことのように感じるかもしれません。けれども、日曜日に仕事を命じられ、遊びに誘われ、それらを断るたびにいやな顔をされ、私たちの神経はすり減ります。私たちの置…

エレミヤ 46章

万軍の主、イスラエルの神は言われた。
「見よ、わたしはテーベの神アモンを罰する。またファラオとエジプト、その神々と王たち、ファラオと彼に頼る者を罰する。」 エレミヤ書 46章25節

主による懲らしめと回復

46章以下は、エルサレムの崩壊と南ユダの滅亡、バビロン捕囚に伴う諸外国に対する神の審判の預言です。 「諸国民に対する主の言葉」は、まずエジプトに向けて語られます。エジプトのファラオ・ネコはエルサレムにい…

エレミヤ 47章

ペリシテ人をすべて滅ぼす日が来る。
ティルスとシドンは最後の援軍も断たれる。
主がペリシテ人を滅ぼされる
カフトルの島の残りの者まで。 エレミヤ書 47章4節

主が剣に命じて

神は、イスラエルの長年の宿敵であるペリシテ人に対して裁きを下されます。ペリシテ人の罪は、ただイスラエルに敵対していただけではなく、主の忌み嫌う偶像礼拝、異教の慣習による悪影響を長年にわたって与え続け…

マタイ 16章21-28節

「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。」 マタイによる福音書 16章24節~26節

キリストの命によって

キリストがわたしのために命を捨ててくださいました。キリストは「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハ15章13節)と私たちに教えられます。しかし、私たちが誰かのために命を捨てる…

エレミヤ 48章

それゆえ、見よ、と主は言われる。
傾ける者をモアブに遣わす日が来る。
彼らはモアブを傾け
器から注ぎ出し、壺を砕く。 エレミヤ書 48章12節

高ぶりの末に

エジプト、ペリシテ人に続いて、死海の東海岸に住むモアブ人についての預言が語られます。モアブは、これまで外敵に攻められたことがなく、平穏でした。そこで彼らは「自分の業と富」を誇り(7節)、主に向かって高…

エレミヤ 49章

エドムに向かって
万軍の主はこう言われる。
テマンには、もはや知恵がないのか
知者たちの策略は尽きたのか
彼らの知恵は消えうせたのか。 エレミヤ書 49章7節

誇るべき知恵

アンモン人、エドム、ダマスコ、ケダルとハツォル、エラムについての主の審判の預言が語られます。 エドムは、イスラエルの先祖ヤコブの兄エサウの子孫であり、モアブの南方に住んでいました。イスラエルがカナンに…

エレミヤ 50章

イスラエルは獅子に追われてちりぢりになった羊。…今、わたしはバビロンの王とその国を罰する。そして、イスラエルを元の牧場に連れ戻す。…
その日、その時には、と主は言われる。イスラエルの咎を探しても見当たらず、ユダの罪も見いだされない。わたしが、生き残らせる人々の罪を赦すからである。 エレミヤ書 50章17節~20節

神の民の回復

イスラエルを苦しめた国々の中でも決定的な打撃を与えたのはバビロンです。しかし、そのバビロンも神の裁きを受けます。バビロンはペルシアの攻撃を受けることになります。バビロンの滅亡は、イスラエルにとっては…

エレミヤ 51章

わが民よ、その中から出よ。
おのおの自分の命を救え
主の激しい怒りを逃れて。 エレミヤ書 51章45節

その中から出よ

バビロンは、繁栄と豊かさを誇り、エルサレムと神殿を滅ぼしました(王下25章)。その罪に対して神は報復されます。「わたしはバビロンに外敵を送る」(2節)。神は、かつて諸国を裁くためにバビロンを神の鎚、武器…

エレミヤ 52章

ヨヤキンは獄中の衣を脱ぎ、生きている間、毎日欠かさず王と食事を共にすることとなった。 エレミヤ書 52章33節

神の裁きと希望

エレミヤ書の最後となる52章には、これまで彼が語ってきた預言が実現する様子が描かれています。エルサレムとユダは「主の目に悪とされることをことごとく行った」罪のゆえに、「ついにその御前から投げ捨てられる…

2ペトロ 1章

わたしは、自分がこの体を仮の宿としている間、あなたがたにこれらのことを思い出させて、奮起させるべきだと考えています。わたしたちの主イエス・キリストが示してくださったように、自分がこの仮の宿を間もなく離れなければならないことを、わたしはよく承知しているからです。 ペトロの手紙二 1章13節~14節

永遠の御国にふさわしく

ペトロは、自分がこの世に生きていることを、「この体を仮の宿としている」と言いました。「仮の」宿ということは、本当の住まいが他にあるということです。それも、今の体を離れた後にはそこに移ることになる、と…

マタイ 18章15-20節

「はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。…二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」 マタイによる福音書 18章18節、20節

キリストの真実のゆえに

私たちに与えられている権威の途方も無さに驚かされます。神の国の扉を開いたり、閉じたりする権威が与えられています。果たして誰が、このような権威を担うことができるでしょうか。 キリストは言われました。「ど…

2ペトロ 2章

わたしたちの主、救い主イエス・キリストを深く知って世の汚れから逃れても、それに再び巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような者たちの後の状態は、前よりずっと悪くなります。 ペトロの手紙二 2章20節

滅亡の奴隷か主の奴隷か

「わたしたちの主、救い主イエス・キリストを深く知」るならば、「世の汚れ」から逃れることができます。世の汚れは私たちの目には何ものにも勝って強い力を持つように見えることもあります。しかし、救い主を深く…

2ペトロ 3章

ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。 ペトロの手紙二 3章9節

神の忍耐の時

世の終わりの時はいつ来るのでしょうか。「遅い」とは、「義の宿る新しい天と地とを、神の約束に従って待ち望んで」いればこそ(13節)、「遅い」と言いたくなるのです。 しかし、「終わりの時には、欲望の赴くまま…

アモス 1章

テコアの牧者の一人であったアモスの言葉。それは、ユダの王ウジヤとイスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムの時代、あの地震の2年前に、イスラエルについて示されたものである。 アモス書 1章1節

テコアの牧者アモス

テコアとは、ベツレヘムの南10キロほどのところにあるユダの地域です。ユダ出身のアモスですが、北のイスラエル王国についての主の御言葉をおもに取り次ぎます。もちろん、南のユダ王国についての主の御言葉も取り…

アモス 2章

主はこう言われる。
ユダの三つの罪、四つの罪のゆえに
わたしは決して赦さない。
彼らが主の教えを拒み
その掟を守らず
先祖も後を追った偽りの神によって
惑わされたからだ。 アモス書 2章4節

偽りの神ではなく

アモスは北のイスラエル王国に向かって主の御言葉を取り次ぐために召されましたが、出身地のユダに対しても御言葉を告げて指摘します。 神の民が偽りの空しい神に惑わされることは、聖書のいたるところに記されてい…

アモス 3章

イスラエルの人々よ
主がお前たちに告げられた言葉を聞け。
―わたしがエジプトの地から導き上った全部族に対して―
地上の全部族の中からわたしが選んだのは
お前たちだけだ。
それゆえ、わたしはお前たちを
すべての罪のゆえに罰する。 アモス書 3章1節~2節

わたしがお前を選んだ

「地上の全部族の中からわたしが選んだのはお前たちだけだ」と、主なる神はイスラエルに対しておっしゃいます。これも、何度も繰り返される表現です。 「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。主は地の面にい…

アモス 4章

ベテルに行って罪を犯し
ギルガルに行って罪を重ねよ。

だから、わたしもお前たちのすべての町で
歯を清く保たせ
どの居住地でもパンを欠乏させた。
しかし、お前たちはわたしに帰らなかったと、主は言われる。 アモス書 4章4節~6節

帰って来い

4章では、「しかし、お前たちはわたしに帰らなかったと、主は言われる」と、5回も繰り返されます。 「しかし、お前たちはわたしに帰らなかった」。これは、「わたしのもとに帰って来い」という、神の切実なメッセー…

マタイ 18章21-35節

そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。7回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。7回どころか7の70倍までも赦しなさい。」 マタイによる福音書 18章21~22節

キリストの無限の赦し

イエス・キリストのもとには無限の罪の赦しがあります。キリストは、兄弟を赦すことにおいて、制限を設けられませんでした。 ペトロは兄弟を7度まで赦すことができたなら、キリストの弟子として満点だと考えたよう…

アモス 5章

まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。
わたしを求めよ、そして生きよ。
しかし、ベテルに助けを求めるな
ギルガルに行くな
ベエル・シェバに赴くな。
ギルガルは必ず捕らえ移され
ベテルは無に帰するから。
主を求めよ、そして生きよ。 アモス書 5章4節~6節

主を求めて、生きよ

主の懲らしめの中を苦しむ主の民に向かって、主はおなかが痛くなるような思いでおっしゃいます。「わたしを求めよ、そして生きよ」と。 主を捨てて、主から離れ、別の神々を求めて、結果として主からの懲らしめを受…

アモス 6章

お前たちは象牙の寝台に横たわり
長いすに寝そべり

竪琴の音に合わせて歌に興じ

大杯でぶどう酒を飲み
最高の香油を身に注ぐ。
しかし、ヨセフの破滅に心を痛めることがない。
それゆえ、今や彼らは捕囚の列の先頭を行き
寝そべって酒宴を楽しむことはなくなる。 アモス書 6章4節~7節

破滅に心を痛めよ

6章は、「災いだ、シオンに安住し、サマリアの山で安逸をむさぼる者らは」と、災いを告げるメッセージで始まります。 南ユダ王国の都エルサレムのシオンの丘、北王国の都サマリアの山は、それぞれ武力と繁栄を一定…

アモス 7章

アマツヤはアモスに言った。
「先見者よ、行け。ユダの国へ逃れ、そこで糧を得よ。そこで預言するがよい。だが、ベテルでは二度と預言するな。」 アモス書 7章12節~13節

預言者のために

アモスには三つの幻が示されます。最初の二つの幻(いなごと審判の火)が示されたとき、彼はイスラエルのために執り成し、主は思い直してくださいました。しかし、三つ目の幻では、下げ振りという垂直を見るための…