リジョイス聖書日課 2020年4月

RCJメディアミニストリー「ふくいんのなみ」のトップページへ戻る

2020年4月の聖書日課

月刊誌 『リジョイス』聖書日課 音声データ 一括  5月分配信中

月刊誌 『リジョイス』聖書日課 音声データ 一括  5月分配信中

耳で聴く月刊誌 『リジョイス』聖書日課の1ヶ月分の音声データ。ダウンロードしてCD-Rなどに保存できます。

月刊誌 『リジョイス』PDF版 5月号配信中

月刊誌 『リジョイス』PDF版 5月号配信中

パソコンやタブレットで読める、月刊誌 『リジョイス』PDF版の配信を行っています。当ホームページで配信している聖書日課だけはなく、1冊全部を読むことができます。

カルヴィニズムる人たち 4月

カルヴィニズムる人たち 4月

2020年4月の「カルヴィニズムる人たち」は太田伝道所会員の安藤恵美さんです。看護師になって35年、8年前から訪問看護を担当されています。

わたしの街のこの教会 Vol.40 那加教会

わたしの街のこの教会 Vol.40 那加教会

毎月、改革派教会を動画で紹介する企画「わたしの街のこの教会」。2020年4月は岐阜県各務原市 にある「那加教会」です。

フィリピ 3章1-11節

わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。 フィリピの信徒への手紙 3章9節

父に愛されたくて

ヘミングウェイの短編に、スペインに暮らす父と子の物語があります。父との関係が悪くなり、息子パコ(スペインではありふれた名前)は家を出て行ってしまいます。息子を探し続ける父親は、新聞の尋ね人の欄に広告…

フィリピ 3章12-21節

わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。 フィリピの信徒への手紙 3章12節

キリストに捕らえられて

パウロは信仰生活を「目標を目指してひたすら走る」レースに喩えています。オリンピック競技の中で最も過酷なものの一つがマラソンです。長距離走を走ったことのある方はわかると思います。わたしも学生時代の持久…

フィリピ 4章1-9節

主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。…どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。 フィリピの信徒への手紙 4章4節、6節

いつも喜びなさい

フィリピの教会にはさまざまな問題がありました。パウロが伝えたのとは異なる信仰を教える人びとがいたり、兄弟姉妹の不一致があったり。パウロはできるなら、もう一度フィリピの教会に足を運び、群れに仕えたいと…

フィリピ 4章10-23節

それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。
フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。 フィリピの信徒への手紙 4章14節~15節

苦しみを共にする交わり

パウロの伝道者としての生涯は、苦しみの連続でした。むち打たれ、投獄され、難船し、飢え渇きを覚え、経験してきた苦労は数えきれないほどでした(2コリ11章)。パウロはフィリピにおける伝道の時にも投獄され、こ…

ルカ 23章32-38節

そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」 ルカによる福音書 23章34節

思い至らない罪さえも赦す

主イエス・キリストは、十字架の上で七つの言葉を語られました。受難週を過ごす中で、その一つ一つを厳粛に受け止め、その意味を思い巡らせてまいりましょう。 最初に覚えたいのは、「父よ、彼らをお赦しください。…

ルカ 23章39-43節

するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。 ルカによる福音書 23章43節

確かな救いの宣言

主イエスの十字架上での七つの言葉、二つ目に覚えたいのは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた言葉です。これは、一緒に十字架にかけられながら、「イエスよ、あなたの御…

ヨハネ 19章26-27節

イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」 ヨハネによる福音書 19章26節~27節

十字架が結び合わせる神の家族

主イエスの十字架上での七つの言葉、三つ目に覚えたいのは、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」、そして、「見なさい。あなたの母です」との言葉です。 十字架のそばには、主イエスの母マリアと弟子が立ってい…

マタイ 27章45-49節

3時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 マタイによる福音書 27章46節

取り除かれた究極的な苦しみ

主イエスの十字架上での七つの言葉、四つ目に覚えたいのは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という言葉です。 主イエスは、十字架に至る苦しみの中で、それ程多くのことを語られません。…

ヨハネ 19章28節

この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。 ヨハネによる福音書 19章28節

渇きを癒す水

主イエスの十字架上での七つの言葉、五つ目に覚えたいのは、「渇く」という言葉です。十字架の上に釘付けされて、耐え難い痛みに悶え苦しむ中から、水を求めているようにも聞こえます。けれどもこの言葉には、単な…

ヨハネ 19章29-30節

イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。 ヨハネによる福音書 19:30

救いが成し遂げられた

主イエスの十字架上での七つの言葉、六つ目に覚えたいのは、「成し遂げられた」という言葉です。主イエスは、父なる神から託された私たちの身代わりとして、十字架という飢え渇きを、その身に引き受けられました。 …

ルカ 23章44-49節

イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。 ルカによる福音書 23章46節

御手にゆだねる道

主イエスの十字架上での七つの言葉、最後に覚えたいのは、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」という言葉です。 主イエスが息を引き取られる、その時が近づいてくると、昼であるにもかかわらず全地は闇に覆われ…

ヨハネ 16章

しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。 ヨハネによる福音書 16章7節

聖霊を遣わすために

マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書は、いずれも主イエスご自身による、死と復活の予告を記します(マタイ16章21節、マルコ8章31節、ルカ9章22節)。とても大事なことだからでしょう。 ところが、ヨハネ福音書はそ…

ヨハネ 20章1-18節

イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『…あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」 ヨハネによる福音書 20章17節

父である神のもとに昇る

復活の主イエスに出会ったマグダラのマリアは、主イエスにすがりつきます。再び会えた、二度と離れたくない、という思いだったのでしょう。 ところが主イエスは、「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもと…

ヨハネ 20章24-29節

イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」 ヨハネによる福音書 20章29節

見ないのに信じる

復活した主イエスが最初弟子たちに現れたとき、トマスはそこにいませんでした。他の弟子たちが「わたしたちは主を見た」と言っても、それだけでは信じませんでした。そのようなトマスを諭すかのように、あらためて…

使徒 5章17-42節

そこで今、申し上げたい。あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。 使徒言行録 5章38節~39節

復活の真実性

使徒言行録5章36、37節を見ると、テウダやガリラヤのユダという指導者が、人々を率いて反乱を起こしたとあります。当時は似たようなことがよく起こったようです。しかし、いずれも指導者が捕えられたり死んだりして…

エゼキエル 43章

見よ、イスラエルの神の栄光が、東の方から到来しつつあった。…主の栄光は、東の方に向いている門から神殿の中に入った エゼキエル書 43章2節、4節

回復された神殿としての教会

神殿から見て東の方とは神の民が捕囚とされているバビロンの方角です。神の臨在を表す「神の栄光」は神殿を出て、捕囚の民のもとにまで赴いてくださったのでした。その神が、捕囚の民を導き戻るようにして、今や新…

エゼキエル 44章

イスラエルの子らが迷って、わたしから離れたとき、わたしの聖所の務めを守ったレビ人の祭司であるツァドクの子孫は、わたしに近づき仕えることができる。…彼らはわたしの聖所に入ることができる。 エゼキエル書 44章15節~16節

回復された祭司としての私たち

プロテスタント教会の大切な考え方の一つに「万人祭司」があります。神の御前に聖職者と世俗の者の区別はなく、皆等しく神に近づき、神に仕えるということです。 この44章では、祭司とレビ人の違いが示されています…

エゼキエル 45章

あなたは、誤って罪を犯した者、また知らないで罪を犯した者のために、同じようにして神殿を清めねばならない。 エゼキエル書 45章20節

教会が回復されるために

回復された神殿の幻を見るエゼキエルの眼差しは特に「誤って罪を犯した者、また知らないで罪を犯した者」に注がれます。神殿を「清める」とは、「贖罪のいけにえの血を取って、それを神殿の門柱と祭壇の台となって…

ヨハネ 20章1-18節

天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。 ヨハネによる福音書 20章13節~14節

後ろから語りかけてくださる主イエス

墓から主イエスの御遺体が取り去られたと考えて、マリアは泣いていました。そのマリアに復活された主イエスが現れます。マリアが後ろを振り向くと、主イエスが立っておられるのが見えました。しかし、マリアには、…

エゼキエル 46章

あなたは、朝ごとに無傷の1歳の小羊1匹を、日ごとの焼き尽くす献げ物として、主にささげねばならない。朝ごとに、それをささげねばならない。 エゼキエル書 46章13節

回復された神の民の生活

エゼキエルが幻で見た救いの時代の礼拝は、「日ごと」「朝ごと」の礼拝でした。キリストと共に救いの時代が到来した今、私たちのなすべき日ごとの礼拝とは何でしょうか。「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけ…

エゼキエル 47章

川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいになるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。 エゼキエル書 47章9節

永遠の命に至る水

この川は、神殿の入口の敷居の下から湧き上がっている、何とも現実離れした川です。ところが、最初はくるぶしまでだった水が、現実の川のように水深を増しつつ東へ流れ、「汚れた海」つまり死海に注ぎます。すると…

エゼキエル 48章

彼らはイスラエルの子らが迷ったとき、レビ人たちが迷ったように迷うことなく、わたしの務めを守った。…この都の名は、その日から、「主がそこにおられる」と呼ばれる。 エゼキエル書 48章11節、35節

神の都には

水晶のように輝く命の水が中央を流れる、来たるべき神の都の中に、イスラエル十二部族一つひとつのための場所が克明に確実に割り振られて、エゼキエル書は閉じられます。そのように、新しいイスラエルである私たち…

サムエル上 1章

主は彼女を御心に留められ、ハンナは身ごもり、月が満ちて男の子を産んだ。主に願って得た子供なので、その名をサムエル(その名は神)と名付けた。 サムエル記上 1章19節~20節

一番大切なものを主に献げる

サムエル記は、預言者であり最後の士師であるサムエルの誕生物語からはじまります。父となるエルカナはエフライムの家系に属する人で、母となるハンナは子どもが与えられるのをずっと祈り願い続けていました。主な…

サムエル上 2章

ハンナは祈って言った。
「主にあってわたしの心は喜び
主にあってわたしは角を高く上げる。
わたしは敵に対して口を大きく開き
御救いを喜び祝う。
聖なる方は主のみ。
あなたと並ぶ者はだれもいない。
岩と頼むのはわたしたちの神のみ。」 サムエル記上 2章1節~2節

ハンナの賛歌

ここに記されているハンナの祈りは、いろいろな点でルカ福音書の「マリアの賛歌」(ルカ1章46-55節)と響き合っています。ともに神の恩寵によって身ごもり、その子らが特別な使命をもって生まれることになる女性の…

サムエル上 3章

主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」 サムエル記上 3章10節

主の言葉を聞くということ

きょうの聖書個所には、やがて主の預言者として歩むことになるサムエルの最初の一歩が記されています。祭司エリからアドバイスを受けたサムエルは、主の呼びかけに対して、「主よ、お話しください。僕は聞いており…

ルカ 24章13-35節

すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。 ルカによる福音書 24章31節

私たちの心を燃やす主イエス

二人の弟子がエルサレムからエマオという村へ向かって歩いていると、主イエスが近づいて来て、一緒に歩き始められました。目が遮られていて主イエスだとは分からないまま、二人は主イエス御自身にナザレのイエスの…

サムエル上 4章

兵士たちが陣営に戻ると、イスラエルの長老たちは言った。「なぜ主は今日、我々がペリシテ軍によって打ち負かされるままにされたのか。主の契約の箱をシロから我々のもとに運んで来よう。そうすれば、主が我々のただ中に来て、敵の手から救ってくださるだろう。」 サムエル記上 4章3節

契約の箱

サムエルの誕生と成長の物語から離れ、ここからしばらくイスラエルとペリシテとの争いとそれに伴う出来事が描かれます。そのころは、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた時代…

サムエル上 5-6章

箱が移されて来ると、主の御手がその町に甚だしい恐慌を引き起こした。町の住民は、小さい者から大きい者までも打たれ、はれ物が彼らの間に広がった。 サムエル記上 5章9節

神の勝利

戦地から戻ったペリシテ人は、契約の箱を彼らの町アシュドドに持ち帰り、彼らの礼拝するダゴンの神殿に運び入れます。その後、不思議なことが連続して起こるのです。ダゴン像が倒され、破壊され、また、アシュドド…

サムエル上 7章

サムエルは命じた。「イスラエルを全員、ミツパに集めなさい。あなたたちのために主に祈ろう。」 サムエル記上 7章5節

御名を呼ぶ者に主は応えてくださる

主は、御名を呼ぶ者の祈りを聞いて応えてくださいます。サムエルは「御名を呼ぶ者」でした(詩99編6節)。主は彼に答えられました。 御名を呼ぶには、その御名が示すお方を知らされていなければなりません。御名を…

サムエル上 8章

主はサムエルに言われた。「民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上にわたしが王として君臨することを退けているのだ。」 サムエル記上 8章7節

主が王であられることの幸い

イスラエルの人びとは、「自分たちにもほかの国々と同じように王を立ててほしい」と、サムエルに迫りました。主は、「民のそのような態度は主を退けていることなのだ」と言われました。 もともと主なる神は王であら…