リジョイス聖書日課 2021年10月

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2021年10月の聖書日課

月刊誌 『リジョイス』PDF版 11月号配信中

月刊誌 『リジョイス』PDF版 11月号配信中

パソコンやタブレットで読める、月刊誌 『リジョイス』PDF版の配信を行っています。当ホームページで配信している聖書日課だけはなく、1冊全部を読むことができます。

月刊誌 『リジョイス』聖書日課 音声データ 一括  11月分配信中

月刊誌 『リジョイス』聖書日課 音声データ 一括  11月分配信中

耳で聴く月刊誌 『リジョイス』聖書日課の1ヶ月分の音声データ。ダウンロードしてCD-Rなどに保存できます。

わたしの街のこの教会 Vol.56 稲毛海岸教会

わたしの街のこの教会 Vol.56 稲毛海岸教会

毎月、改革派教会を動画で紹介する企画「わたしの街のこの教会」。2021年10月は千葉県千葉市 にある「稲毛海岸教会」です。

カルヴィニズムる人たち 2021年10月

カルヴィニズムる人たち 2021年10月

2021年10月の「カルヴィニズムる人たち」は盛岡伝道所委員の名古屋恒彦さんです。障害のある人への支援者を養成する大学で、特別支援教育を担当されています。

エステル 8章

「王の名によって書き記され、王の指輪で印を押された文書は、取り消すことができない」。 エステル記 8章8節

取り消されない救い

ハマンは木につるされて死にました。しかし、危険が去ったわけではありません。王によって出されたユダヤ人の絶滅の文書はまだ有効だったからです。王の印が押された文書は取り消すことはできません。そこでエステ…

エステル 9-10章

ユダヤ人が敵をなくして安らぎを得た日として、悩みが喜びに、嘆きが祭りに変わった月として、この月の両日を宴会と祝祭の日とし、贈り物を交換し、貧しい人に施しをすることとした。 エステル記 9章22節

見上げてごらん夜の星を

絶滅計画が実行される予定日のことでした。ユダヤ人たちはハマンの息子たちを中心とした敵を滅ぼします。危機は去り勝利が与えられました。この出来事を記念して、この日がプリムの祭りとしてユダヤ人の間で祝われ…

マルコ 9章38-50節

「塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。」 マルコによる福音書 9章50節

塩としてのキリスト者

塩には腐敗を防ぐ働きがありますから、今日においても野菜を塩漬けにしたり、魚を塩漬けにしたりします。 腐るということは、私たちの目に普段ありふれた現象ですが、神の目から見たときに、腐敗は罪と関係していま…

エフェソ 3章14-19節

どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。 エフェソの信徒への手紙 3章16~17節

愛にしっかりと立つ者

ここで祈られているのは、「エフェソの信徒たちがキリストの愛によってしっかりと立つ者となる」ことです。そして、そのような者になるために必要な二つの要素があります。その一つは、聖霊によって力を得、内なる…

1ヨハネ 4章7-12節

神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。 ヨハネの手紙一 4章9節

わたしたちの内に示された神の愛

キリスト教において愛の源は神です。神は罪深い人間の罪を赦し、それを贖うために、独り子イエス・キリストをこの世に遣わしてくださいました。罪のないイエス・キリストが十字架の死を通して神の愛を私たちに示し…

1ヨハネ 4章13-21節

愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。 ヨハネの手紙一 4章18節

愛には恐れがない

神はあなたにとってどのような存在でしょうか。神を優しいお方として感じる人もいるし、恐ろしい存在として感じる人もいるでしょう。あるいは、優しさと恐ろしさが共存すると感じることもあるかもしれません。 「愛…

コヘレト 1章

コヘレトは言う。
なんという空しさ
なんという空しさ、すべては空しい。 コヘレトの言葉 1章2節

空しさの発見から神へ

「天の下に起こることをすべて知ろうと熱心に探求し、知恵を尽くして調べた」(13節)というコヘレトの口から漏れるのは、「すべては空しい」という感情にほかなりませんでした。 その思いを占めるのは、「つらい」…

コヘレト 2章

わたしは顧みた
この手の業、労苦の結果のひとつひとつを。

何をすれば人の子らは幸福になるのか。 コヘレトの言葉 2章11節、3節

幸福の追求から神へ

コヘレトは、「短い一生の間、何をすれば人の子は幸福になるのか」を見極めようと、あらゆる労苦を惜しみませんでした(3節)。 その結果、多くのものを手に入れることができましたが、そこで、コヘレトに待ってい…

コヘレト 3章

何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。 コヘレトの言葉 3章1節

神が与えられた「時」を思う

すべて空しいとしか思われなかった人生の一つ一つの「時」を、神が与えられた「時」として捉え直してみましょう。そのとき、「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられ」たことに気…

マルコ 10章2-12節

「従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」 マルコによる福音書 10章9節

神が結び合わせたもの

ファリサイ派の人びとが主イエスを罠に陥れようとして、質問しました。当時の社会では離婚は一般的に認められていましたし、モーセも離婚を許容していました。夫婦の問題、家族の問題というのは、決して一言で割り…

コヘレト 4章

わたしは改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見た。
見よ、虐げられる人の涙を。
彼らを慰める者はない。 コヘレトの言葉 4章11節

虐げられる人の涙を見る

神との「縦」の絆を結び直すとき、「横」の人の姿が改めてはっきり見え始めます。 第一に見え始めたのは「虐げられる人の涙」です。神を畏れ敬うことを忘れた者は、まず人を虐げることに向かいます。そして、その虐…

コヘレト 5章

焦って口を開き、心せいて
神の前に言葉を出そうとするな。
神は天にいまし、あなたは地上にいる。
言葉数を少なくせよ。 コヘレトの言葉 5章1節

神の賜物である生活を楽しむ

今やコヘレトは、神との関係に基づいて私たちに「神を畏れ敬う」という根本から毎日の生活一つ一つを見つめ直すことを促します。 そのとき真っ先に与えられることは、「心せいて神の前に言葉を出そうとするな」とい…

コヘレト 6章

短く空しい人生の日々を、影のように過ごす人間にとって、幸福とは何かを誰が知ろう。 コヘレトの言葉 6章12節

幸福とは何か

コヘレトは、「人間を大きく支配している」不幸を一つ一つ見つめます。 幸福だと思っていた矢先に不幸に襲われるという人の世の常を見たり、体験したりするほどに、幸福とは何かを誰が知ろうかと思わざるをえません…

コヘレト 7-8章

わたしは知恵を深めてこの地上に起こることを見極めようと心を尽くし、…神のすべての業を観察した。 コヘレトの言葉 8章16節~17節

すべてを神の業として観察する

人生には順境の時もあれば、逆境の時もあります。しかし、何事が起こるか、どのように起こるか人間には知ることはできません。そのような中で、「神は人間をまっすぐに造られたが人間は複雑な考え方をしたがる」(7…

コヘレト 9-10章

わたしは心を尽くして次のようなことを明らかにした。すなわち
善人、賢人、そして彼らの働きは
神の手の中にある。 コヘレトの言葉 9章1節

毎日の恵みを発見する

善人にも悪人にもこの世では同じことが起こることが肉の目では観察されます。 しかし、私たちは信仰の目によって「善人、賢人、そして彼らの働きは、神の手の中にある」ことを確認することができるでしょう。 そこ…

コヘレト 11章

妊婦の胎内で霊や骨組がどの様になるのかも分からないのに、すべてのことを成し遂げられる神の業が分かるわけはない。 コヘレトの言葉 11章5節

キリスト者の倫理と楽しさ

私たち人間には「すべてのことを成し遂げられる神の業」は分からない、という思いは、私たちをどんな生活へと導くのでしょうか。どうせ分からないのだからという、いい加減で無責任な生活態度に導くのではありませ…

マルコ 10章13-31節

「はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」 マルコによる福音書 10章15節

神の国に入るのは誰か

子どもたちが主イエスによって祝福される記事と、金持ちの男が主イエスから去っていく、二つの記事が並べられています。子どもたちは神の国に入ることが許され、金持ちの男は入ることができませんでした。なぜでし…

コヘレト 12章

青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。 コヘレトの言葉 12章1節

神を畏れ、その戒めを守れ

かつて1章のコヘレトは、「つらい」「労苦」「もの憂い」「満たされない」「悩み」「痛み」といった言葉ばかりの「苦しみの日々」の中で神へと思いを向け始めることができたのでした。太陽が闇に変わるよう。月や星…

詩編 120編

都に上る歌。
苦難の中から主を呼ぶと
主はわたしに答えてくださった。
「主よ、わたしの魂を助け出してください
偽って語る唇から、欺いて語る舌から。」 詩編 120編1節~2節

苦難の中で

詩編120編から134編まで「都上りの歌」という表題がつけられています。一年の特別な日に、神を信じる外国在住の民が神殿を詣でるためにエルサレムに上る際の、巡礼の歌とされます。神の宮には神がいます。それこそ…

詩編 121編

目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。
わたしの助けはどこから来るのか。
わたしの助けは来る
天地を造られた主のもとから。 詩編 121編1節~2節

目を上げる

この詩編は讃美歌(1954年版)301番のもとになった詩編としてよく知られています。完成されるであろう天の国を憧れつつ歩む信仰者を支えてきました。 詩人の目の前には高い山が聳え立っています。そのように天国を…

詩編 122編

主の家に行こう、と人々が言ったとき
わたしはうれしかった。

わたしは言おう、わたしの兄弟、友のために。
「あなたのうちに平和があるように。」 詩編 122編1節、8節

主の家に行こう

孤立無援ほど神を信じて生きる者を惑わせ悩ませるものはありません。天国を目指す旅は、たった一人であっても主に支えられ勇気づけられて、意気揚々と前進することができます。けれども一人で歩くとき、疲れもしま…

詩編 123編

わたしたちを憐れんでください。
主よ、わたしたちを憐れんでください。
わたしたちはあまりにも恥に飽かされています。 詩編 123編3節

主よ、憐れんでください

教会の歴史の中で絶えず歌われて来た賛美の歌(聖歌)に「キリエ・エレイソン」があります。いろいろなメロディで歌われましたが、言葉は同じです。「主よ、憐れんでください」を意味します。 神を信じて歩む信仰者…

詩編 124編

主をたたえよ。
主はわたしたちを敵の餌食になさらなかった。
仕掛けられた網から逃れる鳥のように
わたしたちの魂は逃れ出た。
網は破られ、わたしたちは逃れ出た。
わたしたちの助けは
天地を造られた主の御名にある。 詩編 124編6節~8節

神はわたしの味方

もし、神がわたしの味方でないなら。このような仮定ほど天の国を憧れる、地上の人生の旅人、巡礼者を恐れさせるものはありません。そんな仮説は神の民を怖気させます。 しかし、神の民をときどき襲うその仮定が、さ…

マルコ 10章35-45節

「しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。」 マルコによる福音書 10章43節~44節

あなたがたの中で偉くなりたい者は

ヤコブとヨハネの願いをきっかけに、主イエスはご自身が来られた目的を語り始め、そして、あなたがたが大いなる者となりたいのなら、この世の支配者のように人々を支配し、権力を振るうのではなく、わたしの模範に…

詩編 125編

主に依り頼む人は、シオンの山。
揺らぐことなく、とこしえに座る。
山々はエルサレムを囲み
主は御自分の民を囲んでいてくださる
今も、そしてとこしえに。 詩編 125編1節~2節

神が囲んでおられる

「山々はエルサレムを囲」んでいたとあるように、エルサレムに向かって旅をする人々には、険しい山々を越える危険がありました。 同じように私たちの人生の旅路においても、危険、苦難を通らずして、その先に進むこ…

詩編 126編

涙と共に種を蒔く人は
喜びの歌と共に刈り入れる。
種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は
束ねた穂を背負い
喜びの歌をうたいながら帰ってくる。 詩編 126編5節~6節

労苦は無駄にならない

何かを育てるためには、労苦が求められます。農夫は農作物を育てるために、労苦を引き受けます。やがて与えられる実りを信じて、種の袋を背負い、種まきをします。涙が頬をつたうことがあっても、その先にある未来…

詩編 127編

主御自身が建ててくださるのでなければ
家を建てる人の労苦はむなしい。
主御自身が守ってくださるのでなければ
町を守る人が目覚めているのもむなしい。 詩編 127編1節

主御自身が建てられる

家や教会を建設することがあります。会社を興すこと、新しい事業を立ち上げることもあります。そのために計画を練り、必要な材料を集め、自分の出せる知恵や力を絞り出して、打ち込む時があります。 成功することも…

詩編 128編

いかに幸いなことか
主を畏れ、主の道に歩む人よ。
あなたの手が労して得たものはすべて
あなたの食べ物となる。
あなたはいかに幸いなことか
いかに恵まれていることか。 詩編 128編1~2節

神を畏れつつ

主を畏れ、主の道に歩む者には祝福が約束されています。自分の手で働いて得たものは自分の食べ物となり、家族が与えられ、喜ぶものとされる。さらにその祝福はエルサレム全体の祝福へと広がっていく、と。 主を畏れ…

詩編 129編

イスラエルは言うがよい。
「わたしが若いときから
彼らはわたしを苦しめ続けたが
わたしが若いときから
彼らはわたしを苦しめ続けたが
彼らはわたしを圧倒できなかった。」 詩編 129編1節~2節

思い起こしなさい

「イスラエルは言うがよい」と詩人は呼びかけます。信仰の旅路を行く中で、不安を抱え、前に進む勇気を失う人々に、語るべき言葉を思い起こさせます。「わたしが若いときから、彼らはわたしを苦しめ続けたが、彼ら…

詩編 130編

深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。
主よ、この声を聞き取ってください。

わたしは主に望みをおき
わたしの魂は望みをおき
御言葉を待ち望みます。 詩編 130編1節~2節、5節

主に望みをおく

「わたしは主に望みをおき、わたしの魂は望みをおき、御言葉を待ち望みます」。 望みは生きていく上で大切なものです。主こそ、そして主の御言葉こそが私たちの望みです。なぜなら、主は私たちを決して孤独にはなさ…

マルコ 10章46-52節

そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。 マルコによる福音書 10章52節

盲人バルティマイの癒し

マルコの福音書において、奇跡で癒された者が主イエスの行かれる道にお供するのを許された者は、これまで一人もいません。しかし、バルティマイは目が見えるようになり自由になると、主イエスの進まれる道に従って…