わたしは、わたしのものではない | コリントの信徒への手紙一 6章

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コリントの信徒への手紙一 6章

あなたがたの体は…神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙一 6章19節~20節

わたしは、わたしのものではない

体と魂は、本来、別物です。けれども「喜びを抱く心はからだを養うが、霊が沈みこんでいると骨まで枯れる」とあります(箴17章22節)。体も魂も健やかであることが人間には必要なのですね。

それだけに、そのような体や心の状態に一喜一憂させられて、私たちの一年はあっという間に過ぎてしまう。とりわけ、痛みや苦しみと闘う日々は耐えがたいものです。しかし、もしこの体も魂も自分自身のものでなかったとしたらどうでしょう?

「あなたがたはもはや自分自身のものではない」とパウロは言いました。主イエスがご自分の命という「代価を払って」私たちの〝身代わり″として死なれた以上、私たちはもはや自分のものではないからです。

それだけではありません。私たちの体や魂の痛みも苦しみも、実にわたしという小さな存在の人生に起こるすべてのことが、今や、主イエスのものとされているのです。「わたしがわたし自身のものではなく、体も魂も、…わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであること」(ハイデルベルク信仰問答 問1の答)。これが私たちの〝ただ一つの慰め″です。

吉田 隆(甲子園伝道所)