キリストにあって起きた罪と義の逆転 | コリントの信徒への手紙二 5章

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コリントの信徒への手紙二 5章

罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙二 5章21節

キリストにあって起きた罪と義の逆転

信仰義認。それは聖書が教える救いについての最も凝縮された宗教改革的告白です。信仰とはもちろん、イエス・キリストへの信仰です。では、なぜ、キリストが義認の根拠となるのでしょうか。それは、キリストにおいて、神の義が表と裏とから示され、罪と義との逆転が起こったからです。

キリストは全く罪のない方、言い換えれば、神の律法をその真の精神と基準において実行し、神の御前に義人でした。神はこのキリストを信じる信仰において、私たちをキリストと一つにし、キリストにあって義としてくださいました。

同時に、キリストは私たちのすべての罪を担い、神の御前に罪人の代表と見做され、その罪のために十字架上で裁かれました。もしキリストに一点の罪でもあれば、その死は自らの罪に対する裁きとなるだけで、他人の身代わりにはなり得ません。しかし、キリストにはまったく罪がなかったので、その死には、信じる私たちに対して、神の裁きと赦しの効力があったのです。

義人キリストが私たちのために罪人として裁かれ、罪人である私たちがキリストへの信仰により義とされる―罪と義とが逆転したのです。

市川 康則(千城台教会)