御名を汚すことは最大の罪 | コロサイの信徒への手紙 5章

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コロサイの信徒への手紙 5章

だれかが罪を犯すなら、すなわち、見たり、聞いたりした事実を証言しうるのに、呪いの声を聞きながらも、なおそれを告げずにいる者は、罰を負う。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コロサイの信徒への手紙 5章1節

御名を汚すことは最大の罪

偽りの誓いや、神の名を用いて人を呪うことに、神がどれほど激しい嫌悪と怒りをお持ちになるか。この聖句は、取り付く島もないほどの厳格さで私たちに迫ってきます。レビ記5章の文脈で問われている罪は、意図的に犯した罪でない場合を念頭に置いています。1節は、神への冒涜の事実を知りながら、罪を告発せず証言を控えることも「罰を負う」とされます。沈黙による消極的な罪への加担が罪責を負うのです。神が、御名の聖さと誉れをどれほど重んじておられるか。際立った決意が示されています。

軽はずみな罪も神の前には「責めを負う」(4節他)。その通りです。けれどもここには、小さな罪でも罪責を負うとともに、すべての罪への「赦し」の道も同時に開かれています。「彼はその罪を犯したことを告白し」(5節)、贖罪の献げ物をささげることによって、罪の赦しを受けることができます。極度に貧しい者は「小麦粉1/10エファ」が赦しの代償です(11節)。小さな罪を見逃さない主が、一握りの小麦粉で罪人を放免されます。憐れで貧しい罪人のための救い主が、もうここに立っておられます。

小野 静雄(瑞浪伝道所・春日井教会)