主をどこで見いだすか | マルコによる福音書 16章

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マルコによる福音書 16章

若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マルコによる福音書 16章6節

主をどこで見いだすか

復活の朝、女性たちは主の亡骸を手厚く葬るために墓に向かいました。彼女たちは主イエスを愛し、慕っていればこそ身の危険を顧みずに墓に向かいました。しかし彼女たちが捜し求めたのは主の遺体であり、死んだ主イエスでした。彼女たちの気がかりは、主イエスの墓をふさいでいた石に向かいました。「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」(3節)。そこでは希望が過去となっています。まさに死んだ希望です。その彼女たちに告げられます。「あの方は復活なさって、ここにはおられない」。

私たちもそれぞれに主イエスを愛し、主を求めます。ところがなかなか主にお会いできず途方に暮れます。一生懸命捜し求めますが主イエスに出会うことができない。それは捜し求める場所が間違っているからです。生きている方を墓の中で見いだそうとするように、自分の小さな信仰の中で主を捜し求めるからです。

まさにそこで言われるのです。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」と(ルカ24章5、6節)。

三川 栄二(稲毛海岸教会)