主の山に、備えあり | 創世記 22章

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創世記 22章

「あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。…地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 創世記 22章16節~18節

主の山に、備えあり

アブラハムはイシュマエルを死に引き渡す苦しみを味わいましたが、その中に神の守りが確かにありました。その体験は、我が子イサクを神に献げねばならない中にあって、彼に神の守りを期待させたことでしょう。イサクと山に登って行くとき、アブラハムは、献げ物は「神が備えてくださる」(8節)と語っています。

イサクは薪を担いで山に登ることができるほど成長しています。そのイサクが縛られ、祭壇の薪の上に載せられます。ここにはアブラハムだけでなく、イサクの服従も暗示されています。父と子が心を合わせ、御言葉に従おうとしています。

イサクに手を下そうとしたとき、天から主の御使いの声がありました。ハガルの場合と同じです。神は試されますが、神の守りは確かです。イサクの命は守られます。イサクもまた、地上の氏族すべてを祝福する器として立てられます。

諸民族への祝福は、神の民が神に従う苦しみを経て実現します。十字架の道を歩むキリストの従順によって、神の国は到来しました。私たちは、神の備えを信じ、キリストに従います。

岩崎 謙(神港教会)