悔い改めを拒む民 | エレミヤ書 5-6章

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エレミヤ書 5-6章

「身分の低い者から高い者に至るまで
皆、利をむさぼり
預言者から祭司に至るまで皆、欺く。
彼らは、わが民の破滅を手軽に治療して
平和がないのに、『平和、平和』と言う。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 エレミヤ書 6章13節~14節

悔い改めを拒む民

悔い改めを求める神の言葉を告げた預言者は、まるで石の壁に向かって語るような虚しさを覚えます。人びとは主なる神の名を知らないわけではありません。偶像を拝みながら、「主は生きておられる」と誓うことさえしています。預言者が直面したのは無知の壁ではなく、「主の道、神の掟」に従って生きようとする意欲の欠如でした。人びとは御言葉に聞かずに自分で自分を正当化し、偽りの平和に安住して神の正義を心にかけませんでした。神との契約がもはや断ち切られていました。

預言者は民の拒絶に遭って主の怒りに満たされ、忍耐の限界を感じます(6章11節)。しかし、ひとたび彼の口から発せられた神の言葉は、生ける神の言葉として世に作用します。神を恐れず、抑圧・不法・暴力に明け暮れる民に対して、神は必ずその悪に報いると告げ、それは確かにイスラエルの上に実現します。

民の悪事を神が罰するとき、神の正義が世界に向けて示されます。しかし、そうして見捨てられた民が再び顧みられるとき、神の愛が世に現れます。

牧野 信成(長野佐久伝道所)