主のうるわしきを見、尋ねきわめたい | 詩編 27編

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詩編 27編

ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。
命のある限り、主の家に宿り
主を仰ぎ望んで喜びを得
その宮で朝を迎えることを。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 27編4節

主のうるわしきを見、尋ねきわめたい

「主を仰ぎ望んで喜びを得、…朝を迎える」の部分は幅広い解釈の仕方があり、口語訳は「主のうるわしきを見、その宮で尋ねきわめることを」と訳しました。「朝を迎える」という動詞を、朝の光が射すような明快さに至るまで「尋ね求めたい、理解しようとして真剣に考えたい」という意味に深くとらえたのです。それが命のある限り主の家に住みたいと願う目的です。

「喜び」「うるわしき」と訳された言葉は、ルツの姑ナオミと同じ綴りの言葉であるのは興味深いことです。「なぜ、快い(ナオミ)などと呼ぶのですか。主がわたしを悩ませ、全能者がわたしを不幸に落とされたのに」(ルツ1章21節)。

詩人とナオミの思いは同じだったかもしれません。詩人も災いにさいなまれていました。神に見捨てないでくださいと祈っています。そういう状況の中でのたったひとつの願い。主のもとで主の平安を味わい、災いばかりの自分の人生にどのような意味があるのか、主の御心を深く知りたかったのです。暗闇に朝陽が射し込むごとく、希望の光を見出したいと願って。

教育機関誌 委員会