逃れの町 | ヨシュア記 20章

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ヨシュア記 20章

過って人を殺した者がだれでも逃げ込み、共同体の前に立つ前に血の復讐をする者の手にかかって死ぬことがないようにしたのである。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヨシュア記 20章9節

逃れの町

故意の殺人に対して、律法は血の復讐を許します。しかし、恨みなどによるのでない過失による殺人の場合、律法は血の復讐を封じます。

命は神が与えてくださった大切なものです。「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(創2章7節)。それほど大切な命を故意に奪う者は、自分の命を求められます。しかし、過って奪ってしまった場合、神は過失を犯した人の命を顧みられます。いたずらに人の命を奪うことが主の御旨ではありません。殺人という悪を正すのが正義であり、人の命を惜しまれるのが愛です。正義と愛とがぎりぎりのところで両立しているのが逃れの町の制度でしょう。

主イエス・キリストは正義と愛とを貫かれて十字架の上で私たちのために死んでくださり、命の道を切り開いてくださいました。「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました」(ロマ5章8節)。

大場 康司(召天)