見張りの務め | エゼキエル書 3章

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エゼキエル書 3章

「人の子よ、わたしはあなたを、イスラエルの家の見張りとする。わたしの口から言葉を聞くなら、あなたはわたしに代わって彼らに警告せねばならない。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 エゼキエル書 3章17節

見張りの務め

イスラエルの家の見張り人とは、塔から見張って敵の危険を人びとに知らせる、霊的見張り人です。神の御言葉に耳を傾けず、安心だ、平安だと神を忘れて世の楽しみを謳歌している人びとに警告する役割を担います。また、預言者はいかに嘲笑され、反対され、迫害を受けようとも御言葉を語り続ける者であるべきなのです。それは厳しい務めでした。

主はそのような預言者を強められます。その顔を硬くし、その額を彼らの額よりも硬いダイヤモンドのようにすると言われました。

創立30周年「教会と国家に関する信仰の宣言」の中に次の文章があります。「教会は、国家を見守る者としての預言者的な務めを果たし、主が促される時には、公に主のみこころを宣言する」と。信教の自由がますます脅かされ、全体主義的な国家形成がなされつつあるこの時代にあって、教会は小さな群れではあっても主が促される時には公に主の御心を宣言する見張りの役割を担っています。「恐れるな、小さき群れよ」と励ましていてくださる、頭なる主キリストに信頼して私たちは歩みます。

国方 敏治