神に近づくことのできる幸い | エゼキエル書 41-42章

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エゼキエル書 41-42章

更に、拝殿の奥の面まで奥行きを測ると20アンマ、その横幅も20アンマであった。そして彼はわたしに、「ここが至聖所である」と言った。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 エゼキエル書 41章4節

神に近づくことのできる幸い

新しい神殿の幻の続きです。案内の天使は、エゼキエルを拝殿に連れて行き、正面の奧のある部分を測り、「ここが至聖所である」と言いました。その至聖所は、以前の神殿の至聖所とはかなり様子が違っています。以前の神殿では、至聖所と聖所が垂れ幕によってはっきりと分けられ、一年に一度、贖罪の日に、いけにえの血を携えた大祭司しかそこに入ることができませんでした。しかし、この新しい神殿の至聖所には、その垂れ幕の描写が一切ありません。エゼキエルが、この垂れ幕なしの至聖所を見たときの感動は、どれほどのものだったでしょう。

キリストが十字架で苦しまれ、息を引き取られた時に、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けました(マタイ27章51節)。これは、キリストの十字架の贖いによって、神と人の隔ての壁が完全に取り除かれ、恐れることなく神に近づく道が切り開かれたことを示しています。

私たちは、既にこの恵みに与っています。これは決して当たり前のことではありません。この素晴らしい恵みを覚えつつ、喜びと感謝をもって、大胆に神に近づきましょう。

吉田 謙(千里摂理教会)