死の問題から罪の問題へ | 詩編 51編

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詩編 51編

あなたに背いたことをわたしは知っています。
わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。
あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し
御目に悪事と見られることをしました。
あなたの言われることは正しく
あなたの裁きに誤りはありません。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 51編5節~6節

死の問題から罪の問題へ

ルターは死の問題から出発し、罪の問題に移っていきました。当時も死や罪の問題で悩んだ人は多くいました。ルターが他の人と違ったのは、その問題の解決として、教会が与えていた「救いの理論」に満足できなかったことです。つまり彼は、人一倍罪の問題を深く把握していました。罪を体験的・実存的に捉えていました。それゆえ、当時の教会が与えていた救いの理論は、彼の切実な求めに応えることができなかったのです。

「神の怒りは自らの罪に向けられている」。そう感じたルターは、その罪を贖うために誰よりも模範的な修道士であろうとしました。誰よりも厳しく規則を守り、善い業に励みました。しかし熱心に励めば励むほど不安が募り、精神錯乱になるほど、罪意識が彼を圧倒したのです。

ルターの苦悩は頂点に達していました。その時、彼を心配し、慰め、聖書の学びへと導いたのが、彼の霊的な父親とも言えるシュタウピッツです。彼は修道会の司教代理でした。こうしてルターは聖書と向かい合います。これが、神の恵みによる救いを確信する福音主義的回心の下地になるのです。

袴田 康裕(神戸改革派神学校)