涙が枯れた世界の中で、私たちは泣く | エズラ記 10章

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エズラ記 10章

エズラは神殿の前で祈り、涙ながらに罪を告白し、身を伏せていた。イスラエル人が彼のもとに集まり、男、女、子供から成る非常に大きな会衆ができた。この人々も激しく泣いていた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 エズラ記 10章1節

涙が枯れた世界の中で、私たちは泣く

大きな罪悪の中に身をうずめるようにして、祈るエズラの周りに、人びとが集まってきました。皆が、私たちは神に背いたと激しく泣いています。その涙と祈りの輪は「非常に大きな会衆」になったと記されています。その「会衆」という言葉をギリシア語七十人訳聖書は「エクレシア」と記しています。「エクレシア」は新約聖書で「教会」という意味で用いられる言葉です。

教会は、私たちが神に背いたのだと泣けるところであると言うことができます。人の目にさらされ、社会の目を敏感に察知して生きる私たちには意外なほどに泣ける場所がありません。忙しさに追われる私たちは自分の、家族の、共同体の罪を誠実に顧み、涙を流す時間を持ちません。ひと度流す涙があっても、世界はすぐにその涙を忘れてしまいます。それは世界の繁栄ではなく枯渇をあらわしているように思えます。

泣ける場所と時をもつ人は幸いです。泣くことを恐れはていけません。涙は神からの賜物。その涙をもって、神は私たちの魂を洗ってくださるのですから。

教育機関誌 委員会