神にとっての宝となる | マラキ書 3章

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マラキ書 3章

わたしが備えているその日に
彼らはわたしにとって宝となると
万軍の主は言われる。
人が自分に仕える子を憐れむように
わたしは彼らを憐れむ。
そのとき、あなたたちはもう一度
正しい人と神に逆らう人
神に仕える者と仕えない者との
区別を見るであろう。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マラキ書 3章17節~18節

神にとっての宝となる

捕囚後の堕落していたイスラエルの民に対して、マラキは、「主の日」「審判の日」が到来することを語ります。その日には、宗教的悪と社会的悪を行う者たちが告発されることになります(5節)。それゆえ、マラキは、悔い改めを勧告します。「立ち帰れ、わたしに。そうすれば、わたしもあなたたちに立ち帰ると、万軍の主は言われる」のです(7節)。

主への立ち帰りは具体的である必要がありました。取り上げられたのは、十分の一の献げ物です。人びとは献げ物において偽りをしていました。それを改めるように主は言われます。また、誠実に献げる者に対して主は約束されます。「必ず、わたしはあなたたちのために天の窓を開き、祝福を限りなく注ぐであろう」と(10節)。

マラキは、主に対する真実な応答には必ず祝福があることを語ります。ある人たちは「神に仕えることはむなしい」と無気力に語っていました(14節)。しかし、主を畏れて主に従う民は、主の日にわたしにとっての「宝」と言っていただけます。主の日は、神に仕える者にとって勝利の日なのです。

袴田 康裕(神戸改革派神学校)