人にさげすまれようとも | 歴代誌上 15章

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歴代誌上 15章

サウルの娘ミカルは窓からこれを見下ろしていたが、喜び踊るダビデを見て、心のうちにさげすんだ。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 歴代誌上 15章29節

人にさげすまれようとも

神の箱は、イスラエルが特に大事にした神の臨在の象徴です。ウザが打たれた事件の後、神の箱は3ヵ月、オベド・エドムの家に置かれていました。15章では神の箱を再びエルサレムへ運ぶ様子が記されています。前回の失敗(13章)があるため、ダビデは祭司とレビ人を呼び集め、準備を十分に整えた上で神の箱を運び出しました。ダビデは運び出された箱と同行しながら、亜麻布の上着を身に着け、喜び祝いながら、神を賛美しました。

しかし、サウルの娘ミカルはこのダビデの姿が気に入りません。「喜び踊るダビデを見て、心のうちにさげすんだ」とあります。ミカルは、人目もはばからず、神の前でひたすら踊るダビデの姿が王の姿として相応しくないと思ったのでしょう。ここで注目したい点は、ミカルがダビデを侮辱しただけでなく、神の箱に対して何の感情も示さなかったということです。しかし、ダビデは違いました。神の箱の帰還を心から喜びました。主の御前でダビデは力のかぎり踊ったのです。神が共にいるしるしを喜ばずにはおれなかったからです。

私たちの歩みにも主が共にいてくださいます。この事実は私たちに喜びを与えます。たとえ、その姿をさげすまれたとしても、主を喜ぶ人生こそ、もっとも祝福された人生です。

【祈り】

主よ、人にさげすまれようとも、あなたを喜び、賛美させてください。

高内 信嗣(山田教会)