礼拝からはじまる和解の心 | マタイによる福音書 5章21-37節

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マタイによる福音書 5章21-37節

「その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 5章24節

礼拝からはじまる和解の心

主イエスは、礼拝者に和解の心を求められます。礼拝でいけにえをささげる前に、反感を覚える誰かと仲直りをするように、和解をするように、とおっしゃいます。

しかし、礼拝をささげるときになっても、まだ誰かに対して怒りを覚えていたり、誰かから反感を抱かれていることを思い起こすかもしれません。和解できてから礼拝をささげることができたらよいのですが、なかなかそうはいかないことの方が多いのではないでしょうか。

主イエスは、そういう私たちに礼拝をささげてはならないとおっしゃるのではなく、和解の望みを信じて礼拝をささげるよう求められます。

礼拝をささげる私たちは、神の御前に罪を認め、赦しを祈り求め、主イエスの十字架によって罪赦された者として生き始めます。

罪赦された私たちは、神の赦しを携えながら、人に対しても、自分の罪を認め、赦しを願い、和解を望み、人の罪を赦すよう努める者とされています。「神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました」(2コリ5章18節)。難しい現実もあります。しかし、きょうも礼拝の中心に和解の源であるキリストがおられます。

【祈り】

主よ、あなたの御前に罪を認め、あなたの赦しに生き、和解の道へと導いてくださいますように。

國安 光(淀川キリスト教病院)