2003年7月21日(月)「地の果て」

東京教会牧師 今井 献

 いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
 新約聖書の使徒言行録は、イエス・キリストの復活後、教会が世界に向かって福音を伝える様子を描いています。
 イエス様は、使徒言行録の第1章でおっしゃいました。「あなたがたは、エルサレムばかりでなく、ユダとサマリヤの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
 この約束どおり、キリストの福音は、エルサレムから始まって、ユダヤ全土とサマリヤに広まり、ついに地の果てに伝えられて使徒言行録は終わります。
 さて、地の果てとはどこのことを指しているのでしょうか。使徒言行録の最後は、パウロがローマにたどり着いて終わります。
 ローマとは、皇帝が住む、世界最大の都市。世界の中心です。
 それでもローマは地の果てである。そう聖書は教えています。キリストを十字架にかけた権力の住まうところがこの都ローマです。神から遠いところこそ聖書の教える地の果てなのです。
 いったい、東京は、日本は神の目からみるなら世界のどこにあるのでしょうか。また、どれほど繁栄していようとも、神様から遠い場所が地の果てであるとするなら、神を知らずに生きている限り、わたしたちは地の果てにいるのであり、救いはありません。
 教会に行き、神の救いに生きる者となってください。

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2003年7月22日(火)「船を失っても」

東京教会牧師 今井 献

 いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
 新約聖書の使徒言行録27章に、伝道者パウロが船でローマ帝国の都ローマに向かう場面が描かれています。
 その途中、嵐に巻き込まれ漂流し始めました。海をよく知る船の乗組員も「ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた」と絶望的な姿が描かれています。その時、パウロが全員に向かって語りました。
 「船は失うが、皆さんのうち誰一人として命を失う者はないのです。」
 こんなこと信じられますか。船は失っても乗っている276人全員助かるというのです。船は失い、何人かが助かったというなら分かりますが、全員が助かるというのです。
 助かる理由は、神が全員をパウロに預けて助けると神が約束したからだ。そうパウロは説明しました。
 そのとおり、船は海の藻屑と消えましたが、全員が助かったと聖書は書いています。
 このことにより、全員が助かったのは偶然ではないこと。神の約束がパウロをとおして実現したことがわかります。
 聖書の神は、人生のどのような嵐の中でもわたしたちを救い出してくださいます。そのことを信じてください。また、神の救いはイエス・キリストによって与えられています。 聖書を読み、教会に行き、キリストを信じる者になってください。

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2003年7月23日(水)「孤独」

東京教会牧師 今井 献

 いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
 父親と兄をだまし、母親から逃亡することをすすめられ、ひとりで見知らぬ道を逃げていく男の姿が創世記28章に描かれています。名前はヤコブ。
 夜、野宿した夢の中に神があらわれ、ヤコブに語りかけました。
 「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束してことを果たすまで決して見捨てない。」(15節)
 自分のおかした悪事の結果、家族との交わりも絶たれて落ちのびていくヤコブは孤独であったに違いありません。
 しかし、生ける神は、ヤコブに「あなたと共にいる」と語りかけ、「決して見捨てない」と約束してくださいました。人は見捨てても神は見捨てることがない。これが聖書の神です。
 ヤコブは、落ちのびた先で妻を得ます。しかし、兄をだました報いでもあるかのように、何度も妻の父にだまされ、二十年にわたり奴隷のように使われました。しかし、神は常にヤコブと共におられ、ついには約束を守って故郷に連れ戻してくださいました。
 イエス・キリストの誕生に意味について、マタイ福音書1章23節はこう教えています。 「神は我々と共におられる。」
 イエス・キリストは、神の栄光を捨てて人となり、わたしたちの中に住み、孤独の内に十字架におかかりになりました。かたわらに誰もいない死の孤独さえ知っておられます。この神が我々と共におられます。
 ぜひ教会に行き、キリストを信じ、神とともに生きる者となってください。

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2003年7月25日(金)「老いと平安」

東京教会牧師 今井 献

 いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
 主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。ルカ福音書二章二九、三〇節
 これは、老人シメオンが赤子イエスをその手で抱いたときに語った言葉であり、神への賛美です。死が間近であることを知りつつ、安らかに生涯を終える喜びと満足をあらわしています。
 自分の生涯を振り返り、人生に満足を覚えることができることほど幸いなことはありません。では、これまでの生涯の何を見て満足したらよいでしょうか。持ち物でしょうか。業績でしょうか。人間関係でしょうか。いったい、自分の何かを見て満足することができるのでしょうか。
 シメオンの満足と平安は、自分の何かに目を向けて得たものではなく、赤子イエスに神の救いを見たことで与えられました。考えていただきたいことは、命も死も自分で勝ち取るものではなく与えられるものです。
 たとえ人生の終わりを意識する年齢になったとしても、なすべきことをなし終えたわけではありません。最後の闘いがなお残っています。死との対決です。
 そのことを知るシメオンは、自分の終わりと救いの確かさを天からの救い主によって確信しました。生きている間のさまざまなことは自分で決め、選び取ることができても、死を前にしての平安は、神からしか与えられません。この厳かな事実をよくよく考えてください。

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2003年7月26日(土)「祈り」

東京教会牧師 今井 献

 いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
 今日は土曜日です。聖書を1箇所読んでお祈りをいたしましょう。
 聖書は新約聖書コロサイの信徒への手紙3章1,2節です。
 「さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座についておられます。上に心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。」
 お祈りをいたします。
 「天の父なる神様。貴い御名を賛美いたします。日々忙しく生活しているため、神様がおられることや善悪について落ち着いて考えることが難しくなっています。
 しかし、イエス・キリストによって救われたわたしたちには、キリストにある永遠の命という神の命に生きることがゆるされ感謝いたします。
 罪深いわたしたちですが、イエス・キリストと共に生き、日々天を見上げ、神の聖い御心にしたがって生きる信仰を増し加えてください。そして、御心にしたがい、悪を退け、善にしたがって生きるものとならせてください。
 イエス・キリストのお名前によっておささげいたします。アーメン。」

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