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おはようございます。山梨栄光教会の関口です。 今朝学びたいみことばは、新約聖書・マタイによる福音書14:15〜16にあります。 「夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。『ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群集を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。』イエスは言われた。『行かせることはない。あなたがたが彼らに食べるものを与えなさい。』 多くの人々が、イエスさまのところに、助けを求めてきていました。イエスさまがその一人一人の声に耳を傾け、必要な助けを与えておられるうちに、時間が過ぎ、いつのまにか夕方になっていました。そこは人里離れた場所、民家が少なく、寂しい場所であったようで、イエスさまの弟子たちは、集まっている人々のお腹がすいてきたのではないかということが心配になってきたのです。 弟子たちは、イエスさまに「群衆を解散させてください」と願い出ています。今日の仕事はこれで終わりにしましょう、というわけです。 ところが、イエスさまは、弟子たちの提案に反対なさいます。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べるものを与えなさい」。あなたがたの仕事は、まだ終わっていませんよ。今、目の前でお腹をすかしている人々に食事を与えるのは、あなたがた自身なのですよ、とイエスさまは言っておられるわけです。 今日の社会において、イエス・キリストの弟子たちの集まりであるキリスト教会にも、お腹をすかしている人々に食事を差し上げる、という仕事があります。教会は、単なる聖書のお勉強会ではありません。宗教は、心の中だけの問題を扱い、精神的な領域に携わるものだと理解されてしまいがちですが、キリスト教会の場合、その説明だけでは不充分です。お腹をすかしている人々に食事を差し上げることは、レストランなど外食産業の人々だけの仕事ではなく、教会の仕事でもあるのです。教会は心の中の問題だけを扱っているのではなく、人間の体の問題、そして人間の命の問題にかかわっているのです。 「あなたがたが彼らに食べるものを与えなさい」とイエスさまは命ぜられました。すると弟子たちは、次のように答えました。「ここにはパン5つと魚2匹しかありません」。 わたしは、この弟子たちの言葉に、引っかかるものを感じます。まさに今、本当にお腹をすかしている人々は、この弟子たちのような言い方をしない、と思うからです。 とても恥ずかしい話ですが、わたしは学生時代、キリスト教の勉強をするための本を買いたいがために、食べるお金に苦労する、という経験をしたことがあります。そんなときは、一日にカレーパン1つ。これを三つに分けて、朝に三分の一、昼に三分の一、夜に三分の一を食べて過ごしたものです。「ここにはカレーパン一つ、あるではないか!」。そう思いながら、感謝して食べました。そのとき苦労したおかげで、現在、わたしの書斎には、今では手に入らないような貴重な本が、たくさんあります。 おそらくイエスさまは知っておられたのです。イエスさまのみもとに集まる群集たちの心が本当に求めていることは、イエスさまといつまでも共にいること。それこそ食事の時間も惜しんで、イエスさまのみことばに耳を傾けること。 そうです、イエスさまと共に過ごす豊かな時間こそ、彼らの最高の食事なのです。パン5つと2匹の魚は、イエスさまと共に食べるとき、豊かな晩餐となるのです。 |
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