2002年2月24日(日)

「豊かさとは何か」

関口 康 山梨栄光教会牧師

     



 おはようございます。山梨栄光教会の関口です。
今朝学びたいみことばは、新約聖書・マタイによる福音書14:19〜21にあります。

「弟子たちは、そのパンを群集に与えた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった」。

 イエスさまの弟子たちは、イエスさまに救いを求めて集まってきた群集に、パンを分け与えました。イエスさまの手元には5つのパンと2匹の魚しかなかったのに、大人の男性だけで五千人、女性と子供を合わせると一万人近くいたであろう人々を満足させることができました。イエスさまがなさったことは、明らかに、「奇跡」と呼ばれる出来事です。イエスさまはそういう特別なお力を持っておられる方である、ということを今日のみことばは教えています。

 今、わたしは、奇跡という言葉を使いました。聖書によりますと、イエス・キリストというお方は、天地万物の造り主なる神の独り子。その父なる神のみもとから、この世に使わされたお方です。そのような方が、この世の中で、人々の前で、奇跡を行なうことができるというのは、いわば当然のことである、と理解することができます。

 神には不可能がない。どんなことでも可能である。神の御子であられるイエス・キリストが、5つのパンと2匹の魚だけで数多くの人々のお腹を満たすことなど、いとも容易なことである、と語ることができるのです。

 しかし、わたしはここで、ちょっと気になっている問題があります。それは、このときイエスさまは、5つのパンと2匹の魚の「量」を、千倍ないし二千倍に「増やす」という奇跡を行われたのだろうか、という問いです。言葉を替えて言えば、今朝の聖書の個所において話題になっているのは、食べ物の「量」の問題なのだろうか、という問いです。

 たしかに、ごく常識的に考えるなら、たくさんの人のお腹を満たすためには、たくさんの食べ物が必要である、と言えるでしょう。イエスさまもまた、たくさんの人々を満足させるために、少ない食べ物をたくさんの食べ物に増やす、という奇跡を行われたのだ、と考えるほうが自然であるかもしれません。

 しかし、問題は、本当に「量」なのでしょうか。現代の社会に目をうつして考えてみる必要があるかもしれません。食べ物、あるいはその他いろいろなモノが満ち溢れている、この現代社会において、すべての人々は満足しているでしょうか。わたしにはそうは思えないのです。他の人の目から見てたくさん持っていると思われているような人々こそが、不平や不満をたらたら述べている姿を見かけることのほうが多いのです。

 ぜひ覚えていただきたいことは、イエスさまの奇跡によって満足することができた人々は、イエスさまに救いを求めてきていた人々であった、ということです。彼らは、モノやお金が満たされるだけで人は救われないと感じていたに違いありません。

 だからこそ、イエスさまが必要であると感じていた。真に豊かな人生を送るためにこそ、イエスさまと共に生きることが必要である、と感じていたに違いありません。

 イエスさまは、その人々の求めを満たしてくださった。そのイエスさまは、今も生きておられ、わたしの心の求め、あなたの心の求めを満たしてくださるのです。

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