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おはようございます。山梨栄光教会の関口です。 今月12月は、世界中がクリスマスを迎える月ですので、これから何回かにわたって、クリスマスにちなんだお話をしていきたいと思います。 私はこの番組が、高知放送で流れているという事を知り、本当にうれしく思っております。と言いますのは、私は現在働いている山梨県の教会に来る前に、1990年4月から1996年3月までの6年間、高知県にある教会で働いていた事があるからです。それは私が牧師の仕事に就いて初めて赴任した、最初の教会です。その頃の私は、まさに全くの初心者マーク付きの牧師だったのです。ですから、私は高知県という言葉を聞くたびに、その頃体験したいろいろな事、たとえば、楽しかった事、悩んだ事、辛かった事などを思い出します。私にとって高知県は、そんな思い出の場所なのです。 もうすぐ6歳になる、私の長男も、高知県生まれです。彼の誕生日は12月26日です。おや、と思って下さった方がおられるかもしれません。そう、それはクリスマスの次の日でした。 その年は12月25日(クリスマス)が、ちょうど日曜日でした。私達牧師夫婦は、当然の事ながら、教会でクリスマスの礼拝を行い、祝会を行わなければなりませんでした。私の家内は、はちきれそうなお腹を押さえながら、一生懸命、祝会のお世話をしてくれました。そして教会のクリスマス行事のすべてが終わって、ほっと一息、二人で顔を見合わせたその時、激しい陣痛が始まり、そこから13時間もかかって、やっと長男が家内のお腹から出てきました。そんな長男を見ながら、教会の人達が、「親孝行だねえ」と誉めて下さった事を、今も忘れる事ができません。 クリスマスの次の日に産まれたうちの長男に、私達夫婦が付けた名前は何だと思われますか。「謙」と言います。「けんそん」の「けん」1文字です。仲の良い牧師の友人達は、クリスマスに産まれたのだから、「ノエルちゃん」が良いのではとか、いっそのこと「キリストくん」が良いのでは、といろいろ薦めてくれましたが、私達が考えた名前が一番良い、と自負しています。 なぜ「謙」という名前を付けたか。ある1は、うちの子の名前を見て、私達両親が、自分の子どもに対して、「イエスさまのように謙遜な人間になりますように」という願いをもって付けたのだろうと考えて下さいました。しかし答えはハズレです。私達は、そういう事を、じつは全く考えなかったのです。 答えのヒントは、クリスマスの意味は何か、という点にあります。それは、新約聖書のフィリピの信徒への手紙2賞6〜11に書かれています。 「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」 ここに書かれてあるとおり、クリスマスとは、神さまの御子イエス・キリストが、神の身分を捨てて最もへりくだったお姿、謙遜なお姿になられた日です。地上の人に神の救いを与えるために、天の父なる神様の御心をこの地上で実現して下さるために、イエス様は来て下さったのです。 |
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