私の生い立ちとラジオ伝道に結び付くまでを正直に書いてみようと思います。
私は1953年に北海道の山奥の小さい村で生まれました。電気、ガス水道もない本当に貧しい村でした。幼少の頃はお米の御飯を食べた記憶がないほどです。いつもおなかをすかしていました。そんな生活の中で、多分9才位の時でしたが、約1キロほど離れた隣家の人が農作業をしている間に、その人の家の御飯を盗み食いしました。
何回かそんなことを重ねるうちに、養護施設に預けられるようになりました。小学5年から中学卒業までをそこで過ごしました。そこは規則にしばられて窮屈でしたが、衣食住に初めて満足することができました。何よりも楽しみなのは一年に一度のクリスマスでした。アメリカの宣教師の方の訪問があり、ケーキや甘いお菓子をもらった覚えがあります。これが第一回のキリスト教と接した時です。
やがて私は中学を卒業して、横浜市内へ就職しました。しかし悪事の数々を重ねるという不良人生でした。そして警察のお世話になり、少年院に送られました。そこではきつい規則に縛られる羽目になりました。この少年院で二回目のキリスト教に接しました。仏教の話もあったのですが、キリスト教の話もありました。強制勉強でした。仏教のイロハニホヘトの意味と賛美歌一つを覚えた程度でした。
社会に出た私ですが、以前にも増して悪でした。他人が困っても泣いても、私には何の関係もないと思っていたし、私の痛みではなかったのです。こんな私にも妻が与えられ、やがて子供も与えられました。しかし唯生きているだけの、死ねばそれで終わりの人生ではないかと思って生きていました。無神論者でした。
そんな私ですが、家族のためには熱心に働き、毎朝4時頃からトラックの運転手をしておりました。トラックの中で何気なくラジオを聞いていたある時、「諸々の天は神の栄光を現し、大地は御手の業を示す」(詩編19篇1節)という言葉が私を捕えたのです。この言葉は何だろうという思いから、このラジオ番組を聞くようになったのです。それは「あさのことば」というキリスト教の番組でした。今から13、4年前のことです。これが私にとって3回目のキリスト教に接した時です。
2、3年続けてそのラジオ番組を聞いていたある時、私自身の情なさ、みじめさ、おろかさなど、色々気付きはじめ、それ以前には泣いた事もなかったのに、私は涙を流すようになったのです。「私は何と惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から誰が私を救ってくれるでしょうか。私たちの主イエス・キリストを通して神に感謝します。」私はこのローマ書7章24、25節の通りでした。アーメン。 本当に神様はおられるんだと確信して、教会のドアーを叩いたのです。叩いたら本当に主が開けて下さったのです。悔い改めた極悪犯罪人に対してイエス様が十字架の上から許しと救いを与えて下さった話がルカによる福音書に書かれていますが、そのように、罪人の頭であるような私を主は許して、受け入れて下さったのです。(テモテへの手紙一、1章15節)。
救いを求めて、ラジオ伝道部の石井先生には何度も手紙を書き、長い返事の手紙を何度ももらいました。慰めと励ましを受けました。鈴木牧師から信仰の指導を受けました。
教会においての礼拝説教は招かれた方、礼拝に出席した人々しか聞けません。しかし「あさのことば」の説教は荒野の声のように砂漠のこの世にさまよう人々に聞こえる説教です。まだ招かれていない外の人々への神様からの福音なのです。
私は「あさのことば」の番組によって救われ、家族も救われてクリスチャン・ホームになりました。10年前のことです。その後、役員にまで選ばれて今は神様の教会に仕えるようになりました。
そういうわけで、「あさのことば」の番組がこれからも一層救いの福音として人々に役立ってほしいと願っています。
ところが、最近の放送を聞いていると、聖書の話というよりも、唯普通の話をしていて、これ位の内容ならば、他の宗教でも言っているような印象です。キリスト教はイエス様の十字架の死と復活についての福音を宣べ伝えるはずです。ラジオ伝道においても、牧師先生がたはもっと大胆に、遠慮せずに聖書のメッセージを語って頂きたいと願っています。このような事を書くのは大変勇気がいって、ちょっとしりごみしました。でも誰かが言わなければと思って書いてみました。
主にありて。
