ラジオとわたし

埼玉県秩父市 宮武輝彦

 わたしがラジオからはじめて福音放送を聞いたのは、中学生の頃だったかと思います。わたしはクリスチャン・ホームで育ちましたが、父の日曜出勤が多く、教会の礼拝に父が出席し家族そろって礼拝を守ることができたときは、いつにもましてとても平安で祝福に満ちた思いになったことを覚えています。それはともかく、わたしが福音放送を聞いたときは、すでに教会の礼拝で福音を聞いていたことになります。
 しかし、そのころのわたしの個人の信仰生活と言えば、日曜だけ聖書を開くような生活でした。平日はたまに父が夕食を共にできるときに家庭礼拝をもちました。この時は父がなぜかきまってローマ書の3章を読むたびに、涙を流して悔い改めの祈りばかりささげていました。
 (しかし今改めてこのローマ書3章を読み返してみますと、21節からはイエス・キリストへの信仰によって、信じる者すべてに与えられる「神の義」が伝えられているではありませんか。父の聖書朗読はどうも20節で終っていたようです。)
 このようにわたしは福音放送に出会った頃は罪の自覚を繰り返している時でした。しかし平日にも聖書の話や賛美歌が聞けることがとても新鮮で、福音放送を聞いていたと思います。
 大学に入り、アパートで一人暮らしをするようになると平日に福音放送を聞くことができることがそれまでの家庭礼拝に増して有り難い恵みの時になりました。わたしにとって個人礼拝はラジオの福音放送を聞くことによって養われたのです。
私は以前から毎晩9時半の「聖書朗読」から始まり10時45分に「主の祈り」で終わるAM1566ヘルツのFEBCを聞いていました。この福音放送は超教派の放送で、キリスト改革派教会も番組を提供しています。「教派によってじつにさまざまな福音放送のスタイルがあるものだなあ」と感心したり、他教派の放送からも新鮮な喜びを感じたものです。そして教会での礼拝も守る中で、わたしは救いの喜びを心に覚えて、福音宣教のために身をささげたいと決心して伝道者になりました。
 先日、水曜日の祈祷会を終えようとするとき、ある青年の方が教会にこられました。話を聞くと、何と、FEBCを聞いておられて『あすへの窓』もご存じでした。そこで、電話でも聞ける『あさのことば』を紹介し、電話をオン・フック(スピーカー)にして、祈祷会に集まった方と共に福音に耳を傾けました。それはこれまで、一人でラジオの福音放送を聞いてきたわたしにとっても、新たな喜びでした。
 今、この青年と共に「ウエストミンスター小教理問答」に則して聖書を学びはじめました。これもすべて神の備えであると感謝しています。「今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいている」(ローマ13・11)ことを心に覚えつつ伝道に励みたいと願っています。福音放送がいよいよ主に用いられることを祈りつつ。

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