「おはようございます。さわやかにお目覚めでしょうか・・・・・・。」美しいテーマミュージックとともに、さわやかな明るい声で語りかけて下さる熊田なみ子姉のはずむような声で始まる「キリストへの時間」をスイッチを入れて待っています。
私がこの放送を初めて聞いた頃に流れて来たのは、「♪十字架の血にきよめぬれば」の賛美歌515番であり、聖書の説きあかしを担当下さってたのは壷坂国三先生達だったと思います。
小学四年生の春休み、骨髄炎にかかり、敗血症まで併発して死の淵からようやく引き戻された私でありましたが、度重なる再発で長い闘病生活を忍耐をもって過ごさなければなりませんでした。その何度目かの再発で病床に臥せっていた時でした。ラジオを通して語られる神様の御言葉や賛美の歌は心を慰め、励ましを与えてくれました。小康状態を得て、初めて教会の集まりに集い、求道生活を始めていたこともあり、退院を許された年のクリスマスに洗礼を受け、神の国の一員とさせていただくことができました。『この世の取るに足りない者や見下されている者を神は選ばれました。』(Tコリント1:28)主は、あわれみ深く、情け深い。感謝!
主と共に歩む者とされてもう少しで丸34年になろうとしていますが、この間に担当される先生方やテーマミュージック等も変わりましたが、この「15分間」の内容は、色々な創意工夫がなされ、番組を構成されておられる牧師先生やスタッフの方々の並々ならぬお働きとみ言葉を伝えようとの奮闘ぶりが伝わって感謝を込めてその時を待つのです。
姪たちが幼かった折、大阪の高槻に手伝いに行った時には「あすへの窓」にダイヤルを合わせて耳を傾けたことなども想い起こされます。
「ラジオ伝道」は、私の今日までの信仰の歩みを助け導き、守り育んでくれました。これからも主の愛と掟を教え、慰めや励ましを与えて下さる貴重な番組であると核心いたしております。
「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。しかし信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう」(ローマ10:13〜15)
ラジオ伝道に携わっておられる方々の上に主の御祝福が増し加えられ、一人でも多くの方々の耳にみ言葉が届けられますようお祈り致しております。
(高知教会々員)
