2005年5月9日(月)「信仰のうそ発見器」

 ご機嫌いかがですか。今週、話を担当します勝田台教会牧師の安田恵嗣です。宜しくお願いします。

 皆さんは「うそ発見器」にかけられるという経験をなさったことがあるでしょうか。たぶん、経験される方は少ないと思います。

 しかし、もし自分の信仰について、うそ発見器にかけられたらどうでしょうか。あなたは神さまを信じますか、イエスさまの復活を信じていますか、イエスさまに出会いましたか。すべてに「はい」と答えたならば、機械は皆うそだと言います。翌日また試してみます。同じような問いが繰り返されます。今度はすべて「いいえ」と否定します。そうすると機械は、信仰を否定する言葉は全部うそだと断定します。そこで技師は証明書を渡します。「この男の言っていることは全部うそである。昨日のうそは、皆うそであることを証明する」。この話は、あるキリスト者の作家の書物に出てくるお話です。話はそれで終わらないで、その夜、この機械はばらばらに壊れてしまったそうです。つまり、信仰の確かさを計るという越権行為をしたために招いてしまった罰のようです。

 しかし、現代人は、案外、この機械のように信仰を計っているのではないでしょうか。新約聖書のマルコによる福音書9章24節に、ある父親がイエスさまに向かって、こう言っている言葉が記されています。「信じます。信仰のないわたしをお助けください」。私たちの知恵では、信仰は計ることができません。どちらかと言えば、「信仰がない」と言うのが真実かもしれません。しかしながら、そのことを主イエス・キリストにお委ねするのです。