2005年5月13日(金)「献身は自分を見出す道」

 ご機嫌いかがですか。勝田台教会牧師の安田恵嗣です。

 パウロはフィリピの信徒への手紙で、このように語っています。3章8節、9節です。「そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失と見ています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです」。

 これまで自分が得ていた一切を損失と見なすことができるほどにすばらしいのは、「わたしの主」としてイエス・キリストを知ったことであった、とパウロは述べています。そこでパウロは、自分が新しく見出されたことを、そのようにして遂に自己を発見することができたことを知るのです。キリストへの献身こそ、自己発見があります。すべてキリストに召され、伝道者、いや、およそキリスト者として生かされた者は、自分を自分らしく生き抜くことができた祝福を知っているのであります。

 パウロは、今のままのこの自分を愛してくださるイエスさまを知っているのです。どんなときにも、このイエスさまを思うと喜びが湧いてくるのです。一人ではないことを知ります。

自分の要求を押し通して生きる人は多いです。でもイエスさまはその生き方を通して、与えて生きる道を示しておられるのです。このイエスさまを知っていることこそ、私たちの宝なのです。