2005年6月6日(月)「ゴミ箱という家具」

 いかがお過ごしですか。新所沢教会の長石です。

 普段あまり意識しませんが、私たちが生活するうえで大切な家具の一つに、ゴミ箱があります。ゴミ箱は文字通り、中にゴミを入れる箱ですから、要らないものや、汚れたものでいっぱいになります。そのお陰で部屋の中は綺麗になります。ゴミ箱はそういう汚れ役を務める特別の家具ですから、部屋の中央ではなく、隅に置かれるのが普通です。もっとも隠してしまっては、不便で役を果たせません。出しゃばらず、かといってサボらず、適切な場所で、役目を果たすのがゴミ箱です。

 イエス様の地上のご生涯も、似たところがあります。洗礼者ヨハネは人々にイエス様を伝えるとき、「見よ。世の罪を取り除く神の小羊だ」(ヨハネ1:29)と言いました。イエス様は私たち人間の罪を取り除くために、人として生まれ、まさにゴミ箱のようにその生涯を送られました。しかしそのことが人間に理解されたのは、イエス様が地上の生涯を終えられた後だったのです。皮肉にもゴミ箱自体を人間が不要なゴミとして葬り去った後ではじめて気付いたのです。それが十字架の死でした。しかし神は、イエス様を再び拾い上げられました。それがイエス様の復活でした。それによって神は、私たちが罪なき命の中で永遠に生きるようにしてくださったのです。