2005年6月8日(水)「バランスという美しさ」

 いかがお過ごしですか。新所沢教会の長石です。

 私は高校時代、器械体操部に入っていました。鉄棒、平行棒、床、跳馬、鞍馬、吊輪の6種目をこなすという総合力が要求される競技です。私は才能もありませんでしたし、おまけに体が硬かったので、できる業も制限され、ずいぶん苦労しました。

 どんなスポーツでも、パワーだけで柔軟性がなければ、一流選手にはなれないでしょう。力と柔軟性、そしてもちろんすべての素質に恵まれた人が、努力して初めて一流と呼ばれるのです。そういう意味で、バランスとはスポーツに限らず、どの分野でも必要とされる重要な要素です。

 イエス様は、人として完全な人格をもって生涯を送られました。聖書にはこうあります。

 「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。」(フィリピ2:6−7)

 ここで言われる「人間と同じ者」とは、「罪は除いて人間と同じ者」という意味です。罪は、神との交わりを断ち、人間を堕落させ、思いと言葉と行いにおいて、バランスを損なわせました。イエス様だけが、罪なきお方として、美しいバランスをもっておらます。私たちもイエス様を救い主と信じる時、神の前に、真のバランスを回復されるのです。