2005年8月16日(火)「不信心とは神を畏れる心を失うこと」

 ご機嫌いかがですか。勝田台教会牧師の安田恵嗣です。

 あるご婦人が、私にこのような話をしてくださいました。ご主人が突然、病気になり、その看病に毎日いそしまなければならなくなりました。そして、自分も疲れ果てて、遂に、病院に入院してしまうことになってしまいました。思いがけない不幸の連続の話を私にされました。しかし、そのお話しの中で、最後に言われた言葉を忘れることができません。それは、その出来事の中で自分がいちばん悲しいと思ったことは、そのような体験を重ねる中で、自分の言葉が悪くなっていくということだ、と言われました。文句を言ってしまう。つぶやいてしまう。人に当たってしまう。不機嫌になってしまう。このようなことはみんな、身に覚えのあることです。

 その言葉を聞きながら、私も他人事ではないと思わされました。不機嫌になるということは、その根底において何が起こっているのでしょうか。信仰を失う。神を畏れなくなっている。自分が主人公だと思っている。自分の苦しみが第一だと思っている。そこで、そのような自分が不信心だとも不義だとも思っていません。

 「不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は怒りを現されます。」ローマの信徒への手紙1章18節の御言葉です。ここに神が与えてくださった真理であるイエス・キリストの働きを妨げようとしている私たちの姿があらわになっています。そのような私たちに光をあてて不義から解き放っていてくださる主イエス・キリストにこそ私たちを立ち直らせる力があります。