2005年11月23日(水)「神さまの招待状」

 ご機嫌いかがですか。安田恵嗣です。

 イエスさまの言葉に次のようなものがあります。「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」。

 ここでイエスさまは自分が高くされるためには、初めから自分を高くしてはいけない、というようなこの世の知恵を与えられているわけではありません。イエスさまがここで求めておられるのは、真実にへりくだることです。真実にへりくだるときに何が起こるのでしょうか。へりくだったときに、私たちは一人でそこにいるのではありません。イエス・キリストがおられます。

 主イエスが「へりくだる者は高められる」と言われるとき、御自分の立っている低さに立つように私たちを招いておられるのです。へりくだってこそ、神の高さが分かるようになります。神の慈しみの高さが分かるのです。

 主イエスが私たちに求めておられるのは、私たちがもっと立派な人になることではありません。むしろ、真実の意味で〈わたし〉を捨て去ることです。主イエスが示してくださり、御自身が立っておられる低さに立つことです。もっと激しく、もっと力強く生きることではなく、そのような考え方の外に出ることです。掟の世界から出エジプトすることです。私たちは、イエスさまの慈しみの中に立てばよいのです。主の憐れみの中に立つよりほかないのです。

愛する皆さん、イエスさまはわたしの手の中で生きなさいと命じておられます。この主の慈しみの中だけで高くされることを私たちの喜びとしたいと願います。