2005年11月25日(金)「大いなる神の愛」

 ご機嫌いかがですか。安田恵嗣です。

 「放蕩息子の物語」と呼ばれる、おそらく聖書の中で、最もよく知られ、しかも、人々の心にかかる聖書の物語がルカによる福音書15章に出てきます。

 この物語は、父親から財産を譲り受け、父親の手の届かない「遠い国」に行って、放蕩の限りを尽くして、身を持ち崩してしまった弟が、「我に返り」、父親の元に戻ってきました。ところが、父親は息子を喜んで招き入れました。勝手な振舞いをした弟を迎え入れた父親のことを知った兄の方は、怒ってしまいました。

 イエスさまは、この物語をなさることによって、ご自分が何のために来られたのかを明らかにされます。神さまが、それほどまでに人を激しく愛された物語です。父なる神が私たちに御子イエス・キリストを与えてくださる愛は、公平を欠いていました。少なくとも、私たちが理解する常識的な愛の原則を破ってしまいました。もしも神さまが正義の原則に従って私たちを愛されたならば、私たちは、誰も救われることはなかったでしょう

 この譬え話に出てくる父親の愛は、世間の常識による父親の姿ではありません。世間の父親として私たちが真似できるようなものではありません。しかし、そのような常識を破るような愛をもって私たちを愛してくださいましたから、私たちは生きることができるのです。私たちを生かすために、神さまはひたすら集中してくださいました。

 「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった」。ルカによる福音書15章24節の御言葉です。