2005年12月26日(月)「鏡を見る」

 いかがお過ごしですか。新所沢教会の長石です。

 毎日の生活の中で、必ず一度は見るものに鏡があります。「鏡を見る」といっても、正確には、「鏡に映った自分を見る」と言ったほうが適切でしょう。きれいに磨いてあるピカピカの鏡は、それを見る者の姿を正確に映し出します。今日は顔色がいいとか、悪いとか、鏡を見ながら、鏡に映った自分をチェックすることができます。

 神のことばである聖書を読むとき、ちょうど同じことが起こっています。というのは、聖書に語られているイエス・キリストという救い主に出会うからです。イエス・キリストを見るとき、私たちは、自分の心が今どんな状態かということはもちろん、そもそも自分はどういう人間か?ということも赤裸々に見えてきます。それは罪深い自分の姿とともに、それをすべて受け入れ、赦してくださった救い主に出会うからです。つまり私たちは、聖書の中に救い主イエス・キリストを見出し、キリストの中に罪赦された自分自身を見出すのです。聖書には次のような言葉があります。

 「わたしたちは知っています。神の子が来て、真実な方を知る力を与えてくださいました。私たちは真実な方の内に、その御子イエス・キリストの内にいるのです。この方こそ、真実の神、永遠の命です。」(Tヨハネ5:20)