2005年12月27日(火)「休みをとる」

 いかがお過ごしですか。新所沢教会の長石です。

 毎日忙しくしていると、ゆっくり休みたいな、と溜息が出ることがあります。しかし休み方というものがあって、これを間違えるとかえって疲れがたまってしまうものです。聖書は、休みのことを「安息」とよんで、私たちにどのように休むべきかを教えています。

 たとえば創世記の1章には、神が6日間で、天地万物を創造された後、安息されたと記されています。これは私たち人間の安息を考える上で、欠くことのできない事実です。というのは、私たち人間は皆、神のかたちに似せて造られており、生まれながらに神様と交わって生きるところに安息が与えられているからです。つまり、疲れたから休むといった消極的な意味での休みだけではなく、神様のもとで休むという積極的な休みというものが、最初から神によって与えられているのです。

 主イエス・キリストは言われました。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」この招きの言葉は、神のもとから来られたイエス様が、私たち人間を再び神の御許に導き、神との交わりを回復し、永遠の命のうちに安息を与えるためのものです。神と人間の架け橋となるために、神から遣わされた救い主のところに行くとき、本当の休みが与えられるのです。