2005年12月28日(水)「空気を読む」

 いかがお過ごしですか。新所沢教会の長石です。

 よく私たちは「空気を読む」という表現をします。これはその場の状況や、雰囲気を正しく把握して対処することをさす表現です。ところで、もし空気というものが目に見えたら、どうでしょうか。その動きや流れは、あまりに複雑すぎて、かえって私たちは翻弄されてしまうでしょう。

 聖書は、「神は霊」であり、また「風」のようなお方であると教えています。神様は目に見えないお方であることも、私たちにとっては恵みです。風のように私たちの身近にあって私たちを生かし、すべてのものを正しく関係付けてくださるからです。そのことがよくわかるのが、次の聖書の言葉です。

 「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、"霊"が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」

 本当の意味で「空気を読む」ということがあるとすれば、それは風のように心に響く神の福音の言葉を聴くことによるのです。今も生ける神様は、あなたの目には見えずとも、耳には聞こえる言葉をもって、あなたに救いの言葉を語っておられるのです。