2005年12月30日(金)「祝福を受ける」

 いかがお過ごしですか。新所沢教会の長石です。

 牧師をしていますと、多くの人との出会いとともに、多くの人を天に送るという別れの経験も与えられます。そのたびに牧師として葬式を司式してきましたが、そこで慰められることは、神様からの祝福がキリスト教の葬式には満ち満ちているという事実です。

 聖書には、信仰の父・アブラハムが175歳の生涯を終えて、妻と共に墓に葬られたことが記されています。しかし、同時に次の言葉が直後に続いているは注目に値します。「アブラハムが死んだ後、神は息子のイサクを祝福された。」(創世記25:11)

 ここにはアブラハムが残した信仰の実としての息子イサクの存在が描かれています。私たちはここから神の祝福を二つの面から教えられます。一つは、アブラハムへの祝福であり、この世の生涯を全うして天に迎え入れられたという事実です。もう一つは、イサクへの祝福であり、自分の存在自体がすでに誰かの働きの実であるという事実です。

 神様は、救い主イエス・キリストにあって受ける永遠の命の祝福を、この世に生きる一人ひとりに与えてくださいます。あなたの生涯も今すでに、神の祝福のうちに用いられています。多くの魂を神の祝福の下に導くことが私たちの人生の目的とされているのです。