2006年3月1日(水)「幼な子のように受け入れる」

 ご機嫌いかがですか。安田恵嗣です。

 イエスさまは、「神の国はこのような者たちのものである」。神の国はこのようなもの、すなわち乳飲み子のような国だと、断言し、私たちに、〈乳飲み子〉のようになることを求めておられます。〈乳飲み子〉は生まれたばかりの赤ちゃんです。そのような赤ん坊を母親が、イエスさまのところに連れて来ました。それをイエスさまは喜んで受け入れられました。

 イエスさまは、子供を連れて来た人々を迎えて言われました。「神の国はこのような者たちのものである」。神の国は、大人のためでも、大人ぶっている者たちのためでもない。幼な子のようになる大人たちのため、と主は言われたのです。

 「はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」。ただ「子供のように神の国に入る」とは言われませんでした。子供のように神の国を〈受け入れる人〉でなければ、決してそこに入ることはできない。神の愛を知るということは、神が私たちを愛していてくださるということを、素直に、無条件に、受け入れるということです。幼な子が、何の邪心もなく人の手に身を委ねるように、神の愛に身を委ねることをしなくなっています。主が求めておられるのは、まさに幼な子のようになることです。しかも、これは私たちの毎日の歩みそのものなのです。日々、神の愛に生き切ることを求めておられます。

 旧約聖書の詩編51編19節に、「打ち砕かれ悔いる心を神よ、あなたは侮られません」と歌われています。イエス・キリストは、私たちの人生が幼な子のような信仰の道、信頼の道によって築かれていくことを求めておられます。そのためにも、この主の求める幼な子の心に繰り返し立ち帰っていきたいと願います。