2006年3月3日(金)「見えるようになれ」

 ご機嫌いかがですか。安田恵嗣です。

 イエスさまと、バルティマイという男の出会いのお話しです。彼は目の不自由な人でした。そればかりではなく、長い間、道端に座り続けて物乞いをしながら生きてきた男です。

 バルティマイは、主の来られるのを待ち望んでいました。エルサレムへ向かう人々からイエスさまについてのいろいろな噂を聞いていました。歩けない者が歩けるようになる、目が見えない者が見えるようになる、すばらしい奇跡を自分も是非味わいたい。やがてイエスさまが人々とやって来られる足音が聞こえ始めます。早く自分のところに近づいて欲しいと心に願います。しかし、なかなか来られない。遂に主が近づいて来られる。彼は叫びます。「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」。人々は大声で叱ります。彼はますます叫び続けます。突然周囲が静かになり、人々が走り寄って来て、あの方がお前を呼んでいると言います。人々に助けられながらイエスさまの前に連れて行かれ、座り込んでしまいます。「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねられます。自分はこれまで何を望んできたのだろうか。この方に何と言えばいいのだろうか。しかし気づくと両手が伸びて、思わず言います。「主よ、目が見えるようになりたいのです」。イエスさまは言われる。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った」。見たいと思っていたイエスさまを見ます。この後、イエスさまに従います。ところがほんの数日後、十字架の死に立ち合わなければなりませんでした。十字架上の主の叫びを聞きます。

 真実の救いは肉眼が開かれることではありません。霊の目が開かれてイエスさまの十字架の意味をよく悟ることです。私たちはこのようにいつも途方に暮れることなく、望みを失うことなく、十字架に向かう主にのみ依りすがって生きたいと願います。