2006年3月28日(火)「どこでも御言葉」

 いかがお過ごしですか。新所沢教会の長石です。

 私の家には、3歳になる「ちゃぴ」という雄ネコがいます。ちゃぴは、生後間もなく教会の玄関脇に、ダンボールに入れて捨てられていたのです。それは3年前のイースターの朝でした。その日から私たち夫婦は、この子を家族の一員として育ててきました。まだ目も開かない赤ちゃんでしたから、哺乳瓶のミルクを与える私たちを親と思って大きくなりました。そのためでしょうか、ちゃぴには面白い癖があります。偶然からでしょうが、自分の前足にある柔らかい肉球を、乳首のようにチューチュー吸うことを覚えたのです。乳離れしてからも、時々、思い出したように、布団に入ってきては、反対の足を裏側に添えて、自分の肉球を乳首のように吸うのです。ドラえもんには「どこでもドア」がありますが、ちゃぴには「どこでもおっぱい」があるのです。

 私たち人間にも、それと似た命の糧があるのをご存知でしょうか。ペトロの手紙第T、1章1節〜2節には次のようにあります。

 「だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。」

 あなたが求めるなら、聖書の言葉こそ「どこでも御言葉」なのです。