2006年5月15日(月)当たり前のことを当たり前に

お元気にお過ごしでいらっしゃいますか。
私は今週一週間、この番組を担当させて頂く、東京都練馬区にあります東洋宣教教会牧師の小堀昇と申します。
どうぞ宜しくお願いします。

さて、イエスがガリラヤ湖の畔を歩いておられるときに、「二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった」(マタイ4:18)。
イエスは、湖で網を打っているペトロとアンデレをご覧になったのであります。そして、そんな彼らに言われました。
「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(マタイ4:19)。

何故彼らはイエスの目に留まったのでしょうか。
漁師が湖で網を打つ、これはある意味、当たり前のことであります。しかし、そんな彼らだからこそ、イエスの目に留まったのであります。
松井はヤンキースタジアムで素振りをしていた野球選手だったからである。朝青龍は、両国、国技館で四股を踏んでいた、お相撲さんだったからである。

イエスが用いて下さる人とはどんな人でしょうか。それは、当たり前のことを当たり前のようにすることのできる人であります。

イエスに用いて頂くために何か大きな事をする必要はありません。優秀な能力も、特別な賜物も要りません。
基本に忠実に、当たり前のことを当たり前にできる人をイエスは用いて下さるのであります。
私達は、イエスの御前に、当たり前のことを当たり前のようになしているでしょうか。基本に忠実に歩んでいるでしょうか。

大きな業をなす人ではありません。イエスは、忠実にご自身に従う人を用いて下さるのであります。

それではまた、御機嫌よう。