2006年6月6日(火)あなたはキリストのもの

 ご機嫌いかがですか。千葉県八千代市にあります勝田台教会の安田恵嗣です。

 新約聖書のガラテヤの信徒への手紙3章28節から29節に次のような御言葉が記されています。

 「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。」

 「あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」とパウロは述べています。キリスト・イエスにおいては、民族の違い、社会的階層の違いによる差別、性別による違いを越えて、一つです。

 私たちの生きる世界は、現在、宗教の違い、民族の違いによる差別と対立は、越えがたいものがあります。しかし、それらは越えることができる、「キリスト・イエスにおいて」越えることができる、「アブラハムの子孫」とされているもの、「約束による相続人」とされている者が見る現実は、まさに、そのようなものなのです。

 「キリストのもの」に成りきるところに、私たちの救いは成立します。それ以外のところに私たちの望みを打ち立てることはできません。そのことをパウロは語ろうとしています。