2006年6月7日(水)神を「父よ」と呼ぶ

 ご機嫌いかがですか。安田恵嗣です。

 新約聖書のガラテヤの信徒への手紙第4章6節に次のような御言葉が記されています。
 あなたがたが子であることは、神が「アッバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。

 私たちが信仰を与えられることによって、まことの解放、自由を知ることができます。なぜそのようなに知ることができるのかと言えば、「御子の霊」が私たちに注がれているからだというのです。そのことが「アッバ、父よ」と神さまを呼ぶことができることに現れているというのです。

「アッバ」とは、生まれて何ヵ月か経った子どもが、言葉といえないような何かを求めるときに、「パパ、ママ」と呼ぶような言葉と同じです。

 ここに最も単純に、神さまのことを「父よ」という呼び名が記されています。赤ちゃんが、無意識に、父に信頼しきって自分の存在を委ねるようにその名を呼びます。聖霊は、そのように父を呼ぶ心を私たちのうちに注ぎ、造り出してくださるのであります。そのように父と呼ぶ心こそが、神の子としての心なのであります。

 私たちは、決して神さまに甘えるようにして「父よ」、「天の父よ」と呼んでいるのではありません。神さまの方が、私たちにとって近い存在となっていてくださることを信じる心の表れであります。